嘘つきの周波数

嘘つきの周波数

19 3516 文字 読了目安: 約7分
文字サイズ:
表示モード:

第一章 ノイズの向こう側

葬儀は、嘘みたいに晴れていた。

親父の骨は軽かった。まるで、その人生の中身が空っぽだったみたいに。

「健二さん、これ」

親戚の誰かから渡されたのは、茶封筒に入った一本のカセットテープだった。ラベルには、震える文字で『遺言』とだけ書かれている。

俺は舌打ちを噛み殺した。

あの男は、最後まで俺を振り回すつもりらしい。

帰宅したのは深夜だった。

仕事場兼自宅のマンションには、イソプロピルアルコールの匂いが充満している。

俺、牧村健二の職業は『音響修復師』だ。

劣化した古いテープやレコードからノイズを除去し、思い出を蘇らせる。

皮肉なもんだ。

他人の思い出は鮮やかに蘇らせるくせに、俺自身の過去はノイズだらけなんだから。

作業デスクに、親父のテープを放り投げた。

カチャン、と乾いた音が響く。

「……遺言だぁ?」

独り言が漏れる。

親父は、稀代の嘘つきだった。

母さんは病気で死んだと言っていたが、実は男を作って蒸発していた。

遊園地に行こうと約束した日は、必ず「急な出張」が入ったが、本当はパチンコ屋に入り浸っていた。

俺が三十を過ぎてようやく知った真実。

それ以来、俺は親父と口を利いていない。

娘の美咲にも、祖父は死んだと伝えてある。

そんな男が、最後に何を言い残す?

『健二、実は隠し財産があってな』

『すまん、借金が残っている』

どっちにしろ、ろくなもんじゃない。

俺はヘッドフォンを首にかけ、年代物のカセットデッキにテープをセットした。

再生ボタンを押す。

『ザザッ……ザザザ……』

スピーカーから流れたのは、耳障りなホワイトノイズだけだった。

無音。

いや、違う。

メーターの針は微かに振れている。

何かが録音されているが、劣化が激しすぎて音声になっていない。

あるいは、意図的に消されたか。

職業病だろうか。

捨てればいいゴミなのに、俺の手は勝手に修復の準備を始めていた。

第二章 アジマス調整

テープの状態は最悪だった。

磁性体が剥離しかけている。

俺は慎重にケースを分解し、リールを取り出した。

「ベイキング」と呼ばれる処理が必要だ。

低温のオーブンでテープを加熱し、バインダーの吸湿を取り除く。

数時間かかる。

その間、俺はキッチンの換気扇の下でタバコを吸った。

スマホを見る。

娘の美咲とのLINEは、半年前に俺が送った『元気か?』で止まっている。

既読すらつかない。

「……血は争えないってか」

俺もまた、家族との距離感が掴めない欠陥品だ。

親父の嘘を憎みながら、俺自身も娘に対して本音を晒せていない。

オーブンのタイマーが鳴った。

俺は作業に戻る。

熱を冷まし、再度シェルに組み込む。

ヘッドのアジマス(角度)を微調整しながら、最適な再生ポイントを探る。

神経を研ぎ澄ます。

ノイズの海から、砂金を拾うような作業。

『ザザ……ぁ……健……』

声が、聞こえた。

フィルタリングソフトを起動する。

ヒスノイズを削り、特定の周波数を持ち上げる。

波形がモニターに浮かび上がる。

それは、俺がよく知る、あのお調子者の軽い声だった。

『……あー、テステス。マイクテスト』

心拍数が上がる。

『健二。これを聞いているってことは、俺はもうくたばった頃だな』

ヘラヘラした口調。

胸糞が悪い。

『遺産なんてないぞ。あるのは……そうだな、真実くらいか』

真実?

今さら何を。

俺はマウスを握る手に力を込めた。

第三章 テイク14

テープは、奇妙な構成になっていた。

親父が一方的に語っているのではない。

録音と停止が、何度も繰り返されている。

『母さんはな、魔法使いだったんだ。だから、遠い国へ……』

ガチャン(停止音)。

『違うな。これじゃバレるか』

再び再生。

『母さんは、女優になる夢を叶えるために……』

ガチャン。

『……ダメだ。もっと、夢のある話じゃないと』

俺は眉をひそめた。

これは、俺が子供の頃に聞かされた「母さんの不在理由」の練習だ。

何十通りもの嘘。

親父は、これを録音して、自分で聞き返して練習していたのか?

俺を騙すために?

怒りが湧いてくるのと同時に、違和感が拭えなかった。

なぜ、こんな練習風景を消さずに残した?

テープを進める。

録音日付らしき音声が入る。

『1995年、10月4日』

俺が7歳の誕生日を迎えた日だ。

あの日、俺は泣きながら帰宅した。

友達に「お前の母ちゃん、男と逃げたんだろ」と言われたからだ。

その夜、親父は俺に言ったんだ。

「母さんはな、世界を救うために旅に出たんだ」と。

あまりに馬鹿げた嘘で、でも当時の俺はそれを信じて泣き止んだ。

その「嘘」の録音が始まる。

『健二、母さんはな……』

声が詰まる。

『母さんは……うっ、ぐ……』

嗚咽。

親父が、泣いている。

『……畜生、なんでだよ……なんで健二を置いてくんだよ……』

聞いたことのない、親父の悲痛な叫び。

『あいつはまだ7歳だぞ……俺なんかより、母親が必要だろ……!』

激しいノイズ。

マイクを殴りつけるような音。

そして、長い沈黙。

鼻をすする音。

深呼吸が繰り返される。

『……よし。やるぞ。笑え、俺』

頬を叩く音がした。

声色が、ガラリと変わる。

いつもの、明るく、能天気で、頼りない親父の声。

『なぁ健二! すごいぞ、母さんはな、実は秘密のエージェントだったんだ!』

完璧な演技だった。

震えなど微塵も感じさせない、希望に満ちた嘘。

俺の目頭が熱くなる。

モニターの波形が滲んで見える。

親父は、騙していたんじゃない。

守っていたんだ。

残酷な真実で俺が傷つかないように。

自分の悲しみや怒りを全部押し殺して、道化を演じ続けていた。

パチンコ屋に入り浸っていた?

違う。

テープの続きに、パチンコ屋の喧騒が背景音として入っていた。

『店長、頼みます。もう少しシフト入れてください。息子の誕生日なんです』

遊園地に行けなかった日、親父は必死に働いていた。

借金取りの怒号。

それに頭を下げる親父の声。

すべて、俺に不自由させないための金だった。

第四章 ラスト・レコーディング

テープの最後。

日付は、死ぬ一週間前になっていた。

病院のベッドの上だろうか。

呼吸器の音が混じっている。

『健二。……これを聞いてるってことは、俺の嘘が全部バレちまったってことだな』

弱々しい声。

けれど、そこにはもう演技はなかった。

『お前は、人の嘘を見抜くのが上手いからな。……いや、俺が下手だっただけか』

苦しげな咳。

『俺の人生は嘘だらけだった。……だがな、健二』

一瞬の静寂。

『お前を愛していたこと。……これだけは、本当だ。……これだけには、何の演出もいらない』

『……幸せになれよ。……じゃあな』

プツン。

テープが終わった。

オートストップの機械音が、静寂の部屋に響き渡る。

俺はヘッドフォンを外せなかった。

両手で顔を覆い、子供のように泣いた。

「……嘘つき野郎……」

最後の最後まで、かっこつけやがって。

あんたのその嘘のおかげで、俺はどれだけ救われていたんだ。

どれだけ、愛されていたんだ。

俺は、親父の不器用な愛の周波数を、ずっとノイズとして切り捨てていた。

本当に修復が必要だったのは、テープじゃない。

俺の心だったんだ。

第五章 再生

翌朝。

俺はスマホを手に取った。

美咲のLINEを開く。

指が震える。

言葉を選ぼうとして、やめた。

親父のように、上手い嘘なんてつけない。

でも、不器用な真実なら伝えられる。

通話ボタンを押す。

数回のコールの後、不機嫌そうな声がした。

『……もしもし? 何、急に』

懐かしい、娘の声。

俺は息を吸い込んだ。

「美咲。……今度、じいちゃんの話をしていいか?」

『え? 死んだんじゃなかったの?』

「ああ、死んだよ。……でもな、すげぇカッコいい嘘つきだったんだ」

窓の外を見る。

空は、葬儀の日と同じくらい、澄み渡っていた。

俺の声は少し震えていたかもしれない。

でも、もうノイズは乗っていないはずだ。

(了)

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 牧村健二 (45): 音響修復師。技術は一流だが、人間関係のノイズ(摩擦)を恐れて心を閉ざしている。父のテープ修復を通じて、過去の自分と対峙する。
  • 牧村修平 (故人): 健二の父。生前はいい加減な嘘つきと思われていたが、実際は妻に捨てられた事実から息子を守るため、必死に「理想の父親」と「優しい世界」を演じ続けていた道化師。
  • 美咲 (18): 健二の娘。別れた妻と暮らしている。健二との関係は冷え切っているが、実は連絡を待っていた。

【考察】

  • ノイズと真実: 本作において「ノイズ」は、健二が拒絶してきた父親の不器用な愛のメタファーである。修復作業(=父への理解)を進めることで、ノイズ除去されたクリアな音声(=隠されていた真実の愛)が浮かび上がる構成となっている。
  • 「嘘」の二面性: 一般的に悪とされる「嘘」を、本作では「子を守るための防壁」として再定義している。父のリハーサル音声(泣きながら明るい声を出す練習)は、嘘をつくことの苦しみと、それを上回る息子への愛を象徴する。
  • タイトルの意味: 『嘘つきの周波数』とは、父が演じていた明るい声のトーンであり、同時に健二が受信しようとしなかった愛の帯域(バンド)を指す。ラストシーンで健二が娘にかける電話は、彼自身が新しい周波数で発信を始めたことを示唆している。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと...

TOPへ戻る