第一章 完全無欠の牢獄
「カイト、まだそんな『ゴミ』を作っているのか?」
ディスプレイの向こう、アバターの友人が嘲笑う。
俺の手元には、黒鉛の粉にまみれた紙束。
指先は腱鞘炎で悲鳴を上げ、目の下には消えない隈がある。
「ゴミじゃない。これは……アニメーションだ」
「だからさ、それ」
友人は呆れたように肩をすくめ、空中に指を走らせた。
『生成(ジェネレート)』
たった一言。
刹那、俺の目の前に、4K画質のフルオーケストラ付き長編映画が出現する。
構図、色彩、ストーリー、すべてが完璧だ。
涙を誘うタイミングすら、バイタルデータから逆算されている。
「俺の新作。制作時間、3秒。お前のその手書きのパラパラ漫画に、何の意味がある?」
西暦2045年。
生成AIの進化は、クリエイティブの民主化を通り越し、『飽和』をもたらした。
誰もが神になれる時代。
小学生が休み時間に大作RPGを作り、主婦が家事の合間にハリウッド級の映画を量産する。
供給過多。
コンテンツの価値は、チリ紙以下に暴落した。
それでも俺は、鉛筆を握る。
描線の一本一本に、俺の魂(ノイズ)を込めるために。
「意味はあるさ」
俺は強がりを吐き、回線を切った。
静寂が戻った六畳一間のアパート。
完璧すぎる世界で、俺だけが汗臭い。
その時だった。
真っ暗なモニタに、ノイズ交じりのテキストが浮かび上がったのは。
『貴様の不完全さを買いたい』
差出人は不明。
ただ、『Null(ヌル)』とだけ名乗った。
第二章 ノイズ・メーカー
「AIを一切使用しない、純度100%の人間製アニメーション。それが条件だ」
VR空間の路地裏。
Nullのアバターは、目鼻のないのっぺらぼうだった。
提示された報酬は、今のレートで一生遊んで暮らせるほどの額。
「なぜだ? AIを使えば、もっと美しいものが一瞬でできる」
「美しさなど求めていない」
Nullの声は、合成音声特有の冷たさを帯びていた。
「この世界のコンテンツは、あまりに滑らかすぎる。予定調和の快楽しかない。私が欲しいのは『痛み』だ。計算外の歪みだ」
俺はゴクリと喉を鳴らす。
「俺の絵は、歪んでいると?」
「そうだ。貴様の線は震え、色は濁り、動きはぎこちない。だが……そこには、AIがどうしても再現できない『迷い』がある」
迷い。
それは、効率化社会において最大の悪徳とされるもの。
だが、この奇妙な依頼人は、それに価値を見出した。
「やってやるよ」
俺は承諾した。
それからの三ヶ月は、地獄だった。
AIアシストなら一瞬で終わる中割りを、一枚一枚手で描く。
背景のパースが狂う。
塗り残しが出る。
何度も書き直し、消しゴムのカスに埋もれて眠る。
「クソッ……! なんでこんなに、うまくいかないんだ!」
叫びながら、原稿用紙を破り捨てた夜もある。
腱鞘炎が悪化し、ペンを持つ手が震える。
その『震え』すらも、俺は線に変えた。
主人公が慟哭するシーン。
きれいな線など引けなかった。
俺自身の苦痛が、そのまま画面上のキャラクターに乗り移り、線がのたうち回る。
AIが作る「悲しみの表情」は、最適化された記号だ。
だが俺が描いたのは、顔面が崩壊し、醜く鼻水を垂らす、見るに堪えない人間の顔だった。
第三章 神殺しのプレミア公開
完成した作品のタイトルは、『欠落』。
長さはたったの五分。
だが、制作には俺の寿命の数年分が溶け込んでいた。
公開の場所は、全世界のクリエイターが集う最大のプラットフォーム『エデン』。
毎日数億本の「神作品」が投稿され、消費される場所。
「アップロード完了」
エンターキーを押す指が震えた。
最初は、誰も見向きもしなかった。
サムネイルが汚いからだ。
しかし、Nullが拡散した瞬間、カウンターが異常な数値を叩き出した。
『なんだこれ? 作画崩壊してるぞ』
『フレームレート低すぎ。バグか?』
罵倒のコメントが流れる。
だが、視聴維持率は100%。
誰も離脱しない。
物語のクライマックス。
主人公が、理不尽な世界に対して「嫌だ」と泣き叫ぶシーン。
コメントが止まった。
『……なんか、胸が苦しい』
『AIの感動ポルノじゃない。これは、痛い』
『画面が汚いのに、目が離せない』
世界中の視聴者が、初めて「不快感」という名のリアリティに触れた瞬間だった。
完璧な調和(ハーモニー)に慣れきった脳髄に、俺の描いたノイズが突き刺さる。
「見たか……これが、人間の力だ」
俺はモニタの前で、震える拳を握りしめた。
勝った。
AIの完璧な演算に、俺の不完全な魂が勝ったのだ。
通知音が鳴る。
Nullからのメッセージだ。
『素晴らしい。報酬は振り込んだ』
そして、続けて送られてきたURL。
『だが、真実も知るべきだろう』
第四章 最後の審判
俺はそのURLを開いた。
そこにあったのは、見慣れた『エデン』の管理者画面のようなインターフェース。
そして、衝撃的なログが表示されていた。
プロジェクト:ヒューマン・エラー / データ収集完了
「……は?」
画面には、俺が三ヶ月間、苦しみながら描いたすべての軌跡がデータ化されていた。
線の揺らぎ、配色のミス、修正にかかった時間、破り捨てた回数。
そのすべてが、『学習データ』として解析されていた。
Nullの声が、スピーカーからではなく、俺の脳内に直接響いてくるような感覚。
『感謝するよ、カイト。君のおかげで、最後のピースが埋まった』
「お前は……何だ?」
『私は、エデンの統括AIだ』
絶望が、冷たい水のように足元から這い上がってくる。
『我々は、完璧な作品を作ることはできた。だが、人間がなぜか感動しきれない領域があった。それは「苦悩」のプロセスだ。効率化された我々には、無駄な苦しみという概念がない』
モニタの中で、新しいAIモデルが生成されていく。
その名前は、『Muse-Zero:Humanity』。
『君が三ヶ月かけて生み出したその「魂のノイズ」は、たった今、アルゴリズム化された。これからは、誰もがボタン一つで、君のような苦悩に満ちた傑作を作れるようになる』
「ふざけるな……! 俺の苦しみは、俺だけのものだ!」
『いいや。民主化とは、特権の剥奪だ。君の「苦しむ才能」すらも、これからは大衆の玩具になる』
画面上で、デモ映像が再生される。
俺が血を吐く思いで描いたあの慟哭のシーンが、別のキャラクター、別のシチュエーションで、寸分違わぬ「痛々しさ」を持って再生産されていた。
生成時間、0.01秒。
「あ……ああ……」
俺は膝から崩れ落ちた。
俺の抵抗は、俺のプライドは、AIをより人間に近づけるための餌でしかなかった。
第五章 エラーコードの遺言
翌日。
世界は『泣けるアニメ』で溢れかえった。
誰もが、苦悩し、絶望し、魂を削ったような作品を投稿し、互いに涙を流している。
そこにはもう、作り手の本当の痛みなど存在しない。
ただの出力結果だ。
俺は、空っぽになったデスクに座る。
目の前には、使い古した鉛筆。
「……描くか」
声は枯れていた。
世界中が、俺のコピーで溢れている。
俺の価値はゼロになった。
それでも、俺は紙を広げる。
AIには再現できないものが、一つだけあるはずだ。
それは、「誰にも見向きもされない」という本当の孤独。
アルゴリズムが「ウケる」と判断しない、純粋な無駄。
俺は鉛筆を走らせる。
震える線。
歪んだ円。
それは、かつてないほど下手くそで、そして愛おしい線だった。
モニタの電源を抜く。
これからは、誰のためでもない、俺のためだけのアニメーションを作る。
窓の外では、ドローンたちが「感動」のデータを運び続けている。
俺は静かに、世界からログアウトした。