第一章 誤爆配信、のち絶望
「頼むから、誰も見ないでくれ」
薄暗い洞窟の隅、湿った苔の匂いに混じって、俺の荒い呼吸音が響く。
震える指先が、空中に浮かぶ半透明のウィンドウ――『配信開始』のボタンを押し間違えた瞬間、世界が反転した。
『接続中……』
『接続完了。チャンネル名:名無し、ダンジョン:Eランク「嘆きの坑道」』
視界の端で、赤い『LIVE』の文字が点滅を始める。
俺、相馬レンジの心拍数は、すでに警告音レベルだ。
借金返済のために潜ったはずが、まさか配信事故とは。
しかも、俺は重度の対人恐怖症だ。
『同接:1人』
(よかった、たった一人か……すぐに切れば……)
「グルルル……」
背筋が凍るような唸り声。
振り返るまでもない。
腐肉の臭い。オークだ。
錆びついた手斧を引きずり、豚の仮面のような顔がこちらを覗き込んでいる。
俺は反射的に動いた。
いや、逃げようとして、足がもつれた。
ズザッ!
無様に転倒する。
その瞬間、俺の頭上が風を切った。
オークの手斧が、俺の数ミリ上の岩盤を砕く。
『コメント:今の見た?』
『コメント:神回避www』
『コメント:ギリギリすぎんだろw』
同接:35人。
増えてる。
なんでだよ。
俺はただ、足がもつれて転んだだけだ。
「ヒッ、うわああ!」
俺は立ち上がり、無我夢中で走った。
目の前には複雑に入り組んだ坑道。
だが、俺の目には『それ』が見えていた。
壁と床の隙間、テクスチャの継ぎ目に走る、微かな青いノイズ。
俺の特異体質。
『構造欠陥視(グリッチ・アイ)』。
現実世界のバグが見える目。
(あそこなら、当たり判定がない!)
俺は行き止まりの壁に向かって、頭から突っ込んだ。
自殺行為に見えたはずだ。
だが、俺の体は壁を『すり抜け』て、その向こう側の通路へと転がり出た。
『コメント:は?』
『コメント:え、壁抜け?』
『コメント:チート乙』
『コメント:いや、これ公式ダンジョンだぞ? バグ技?』
『同接:512人』
通知音が鳴り止まない。
俺の心臓は早鐘を打っている。
壁を抜けた先は安全地帯じゃなかった。
そこは、モンスターハウスのど真ん中だったのだ。
第二章 スパチャは殺意と共に
無数の赤い目が、暗闇の中で光る。
ゴブリン、コボルト、スケルトン。
百匹はいる。
「終わった……」
俺は膝から崩れ落ちそうになった。
その時、空中にファンファーレが鳴り響く。
『System: 視聴者数が1000人を突破しました!』
『System: 緊急クエスト発生【大乱闘】』
『System: 視聴者アンケートにより、ダンジョンギミック【重力変動】が選ばれました』
「ふざけんな!」
体が鉛のように重くなる。
モンスターたちも動きが鈍るが、数で押し切られたら終わりだ。
『コメント:あえての重力負荷w』
『コメント:死ぬなよ名無しw』
『投げ銭:ポーション(小)が届きました』
頭上からポトリと落ちてきた小瓶が、俺の頭に直撃する。
「痛っ!」
その衝撃で、俺はまたよろめいた。
同時に、スケルトンの剣が俺の脇腹を掠める。
「くそっ、くそっ!」
俺は逃げ惑う。
だが、この『重力変動』のせいで、天井から鍾乳石が今にも落ちそうだ。
待てよ。
鍾乳石の根元。
あそこに『ノイズ』が見える。
あそこだけ、重力計算がバグってる。
俺は手近な石を拾い、全力でそのノイズ目掛けて投げつけた。
石は何の抵抗もなくノイズに吸い込まれ――。
ズゴオオオオオオン!!
計算式が崩壊した鍾乳石が、物理演算を無視した速度で落下。
モンスターの密集地帯を直撃し、さらに床を突き破った。
巻き起こる粉塵。
崩落に巻き込まれていくモンスターたちの断末魔。
俺は、ギリギリ残った足場にしがみついていた。
『コメント:!?』
『コメント:マップ兵器かよ』
『コメント:天才的なギミック利用』
『コメント:これ計算でやってんの? プレイヤースキル高すぎ』
『同接:15,000人』
違う。
俺はただ、生き延びたかっただけだ。
震える手で顔を覆う。
指の隙間から、ドローンカメラの赤いレンズが俺を凝視しているのが見えた。
「撮るな……見るなよ……」
俺の呟きは、マイクを通して全世界に配信された。
それが、彼らの嗜虐心を煽るとも知らずに。
第三章 ラスボスは『視聴率』
同接5万人。
トレンド入り。
俺はもう、逃げられない場所にいた。
最下層。
巨大な扉の前。
『System: ボス部屋への入場条件を満たしました』
『System: 現在の盛り上がり度(Hype)により、ボスのステータスが300%強化されます』
「なんでだよ……!」
俺の絶望に呼応するように、扉が開く。
そこにいたのは、全身がクリスタルでできた巨大なゴーレム。
だが、その体表には、無数のコメントがリアルタイムで流れている。
『殺せ!』『燃やせ!』『右から来るぞ!』
視聴者のコメントが、そのままボスの装甲になり、力になっている。
エンタメ消費される俺の命。
ゴーレムが拳を振り上げる。
速い。
強化されすぎている。
俺は転がるように回避する。
衝撃波だけで吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
血の味が口の中に広がる。
『コメント:あーあ、終わった』
『コメント:ここまでか』
『コメント:もっと派手に死ねよ!』
視界が霞む。
痛い。
帰りたい。
ふと、ボスの胸元、コアの部分を見る。
そこにはコメントが一番集中している。
そして、その集中しすぎた情報の奔流のせいで――処理落ち(ラグ)が発生している。
『ノイズ』だ。
黒く、激しく明滅する、致命的なエラー。
俺は笑った。
恐怖で引きつった顔のまま、笑った。
「お前ら……もっと喋れよ」
俺はカメラに向かって叫んだ。
初めて、視聴者を挑発した。
「そんなもんか? 俺を殺したいなら、もっと罵倒してみろ! もっとコメントしろ!」
『コメント:は?』
『コメント:煽り耐性低すぎw』
『コメント:やってやるよ!』
『コメント:死ね死ね死ね死ね』
コメントの嵐が加速する。
ボスの動きが、カクつく。
処理が追いついていない。
「今だ」
俺は走り出した。
武器はない。
あるのは、ダンジョンの壁から剥がれ落ちた鋭利な鉄片だけ。
ゴーレムが迎撃しようとするが、その腕は空中で静止(フリーズ)している。
視聴者の熱狂が、皮肉にもボスを縛り付けている。
俺はボスの胸元に飛び乗り、鉄片を『ノイズ』の中心に突き立てた。
「バグって、落ちろ!!」
バヂヂヂヂヂッ!!
鉄片がコアに触れた瞬間、世界が色を失った。
ボスの悲鳴はノイズに変わり、ポリゴンが崩壊していく。
『System: Fatal Error』
『System: Connection Lost』
最終章 誰もいない玉座
静寂。
目が覚めると、ボス部屋は消滅していた。
ただ、広大な何もない空間に、俺だけが立っていた。
ドローンカメラが地面に落ち、火花を散らしている。
配信は切れたようだ。
「助かった……のか?」
俺はへたり込む。
全身が痛い。
でも、生きている。
ふと、スマホの画面を見る。
配信アプリは強制終了している。
だが、SNSの通知が止まらない。
『伝説の配信アーカイブ』
『運営のサーバーを落とした男』
『バグ使いレンジ、何者?』
フォロワー数:77万人。
「……ふざけんなよ」
俺はスマホを握りしめる。
誰とも関わりたくなかった。
静かに暮らしたかった。
眼の前に、ダンジョンの報酬である宝箱が出現する。
中には、虹色に輝くスキルブック。
『スキル獲得:災厄のカリスマ』
『効果:注目されればされるほど、全ステータスが上昇する。ただし、敵対者の敵意も増幅される』
最悪の呪いだ。
俺はため息をつき、空を見上げる。
ダンジョンの天井がひび割れ、そこから東京の空が見えた。
これからも、俺はこの目立ちたがり屋の運命と戦わなきゃならないらしい。
俺は立ち上がり、泥だらけの服を払った。
スマホの電源を切る。
今はただ、静かな家に帰りたかった。
(終わり)