第一章 廃材の海
ノイズが、また頭の中で鳴っている。
「……うるさいな」
エリアンは錆びついたヘルメットを叩いた。
「ザザ……ッ、ザー……」
砂嵐のような音。それは宇宙空間の電波障害ではない。
彼の脳――いや、聴覚野に直結されたデータ・インターフェースが拾う、死んだ情報の悲鳴だ。
ここは第7軌道墓場。
かつて人類が栄華を極めた都市型ステーションの成れの果て。
今はただの、巨大なゴミ捨て場だ。
エリアンは無重力空間を、ワイヤー一本で泳いでいた。
仕事は『スカベンジャー(屑拾い)』。
廃棄されたサーバーから、まだ換金できそうな記憶データや、旧時代の娯楽ファイルを掘り出す。
「今日はハズレか」
目の前に浮かぶのは、半壊した居住区画。
壁には焦げ跡。
漂うのは、凍りついた酸素ボンベと、砕けたガラス片。
エリアンの指先が、空中のホログラムキーボードを弾く。
《スキャン開始……》
ピー、ガガッ。
耳障りな不協和音が響く。
破損データばかりだ。これじゃパン一斤も買えやしない。
帰ろうとした、その時だ。
ポーン。
澄んだ音が、ノイズの海を切り裂いた。
「……なんだ?」
エリアンは動きを止める。
不協和音の中に、ひとつだけ、完璧な和音が混じっている。
美しい、ピアノの旋律のような信号。
彼はワイヤーを巻き取り、その音源へと向かった。
瓦礫の山をかき分ける。
そこにあったのは、奇妙な『柩(ひつぎ)』だった。
銀色のカプセル。
表面には霜が降りているが、傷ひとつない。
「おいおい、冗談だろ」
エリアンは息を呑んだ。
これほどの保存状態。
中に入っているのは、特級のデータか、それとも――。
彼は震える手で、接続端子をカプセルに繋いだ。
アクセス。
カシュッ。
蒸気が噴き出し、重厚な蓋がスライドする。
中には、少女が眠っていた。
透き通るような肌。
長い銀髪。
そして、まぶたが震え、ゆっくりと開かれる。
「……ここは?」
その声は、エリアンが今まで聞いたどんな音楽よりも、鮮烈に鼓膜を揺らした。
第二章 迷子の歌姫
「名前は?」
「……アリア」
「アリアか。いい名前だ。俺はエリアン」
エリアンは彼女に、予備の圧縮食料(ペースト状の何か)を渡した。
狭い船内。
アリアは不思議そうに、窓の外を眺めている。
「星が、泣いているわ」
「泣いてる?」
「ええ。悲しい色をしてる」
エリアンは苦笑する。
「そりゃそうだ。あそこにあるのは全部、誰かが捨てたゴミだからな。未練、後悔、忘れられた約束……。俺にはそれらが、耳障りなノイズにしか聞こえない」
「そう? 私には、歌に聞こえるけれど」
アリアは微笑んだ。
その笑顔を見ると、エリアンの胸の奥にある冷却ファンが、妙な回転音を立てる気がした。
彼女を拾ってから、三日が経った。
彼女には記憶がなかった。
自分が何者なのか、なぜあのカプセルにいたのか。
ただ、音楽についての知識だけが異常に豊富だった。
「ねえエリアン。あの大きな青い光は何?」
「あれは『ゲート』だ。このゴミ捨て場から、本当の世界……『楽園(エデン)』へ行くための門だよ」
「楽園?」
「ああ。富裕層だけが住める、データ欠損のない完全な世界だ。俺たちのような屑拾いには縁がない」
エリアンは、自分の腕を見る。
皮膚の継ぎ目から、オイルが滲んでいる。
彼はサイボーグだ。
全身の9割を機械化し、過酷な宇宙空間での作業に特化している。
人間らしい感覚など、とっくの昔に売り払った。
だが、アリアは違う。
彼女は生身の人間だ。
体温があり、脈があり、呼吸をしている。
「私、あそこに行きたい」
アリアが指差した。
「無理だ。ゲートを通るには、正規のIDコードがいる。俺たちが近づけば、防衛システムにハチの巣にされる」
「でも……あそこから呼ばれている気がするの。私の帰る場所は、あそこだって」
彼女の瞳は真剣だった。
その瞳に見つめられると、エリアンは拒絶できなかった。
「……わかったよ。近くまで行くだけだぞ」
エリアンは操縦桿を握った。
自分でも馬鹿だと思った。
だが、このノイズだらけの世界で、彼女という「旋律」だけは、守らなければならない気がしたのだ。
第三章 崩壊の予兆
警報音が鳴り響く。
「警告。船体損傷率、40%」
「くそっ! やっぱり見つかったか!」
ゲートに近づいた瞬間、無人の迎撃ドローンが現れた。
エリアンの船は、老朽化したポンコツだ。
回避機動をとるたびに、船体が悲鳴を上げる。
「エリアン! 後ろ!」
「わかってる!」
彼は聴覚センサーを極限まで開放した。
ドローンの駆動音、ミサイルの推進音、照準レーザーの波長音。
すべてを「音」として捉え、即興演奏のように船を躍らせる。
だが、数は圧倒的だった。
ドォォン!
右舷に被弾。
衝撃でエリアンは床に叩きつけられた。
「うっ……」
視界が歪む。
赤いエラーログが視界を埋め尽くす。
《右腕部、機能停止》
《動力炉、臨界まであと5分》
「エリアン!?」
アリアが駆け寄ってくる。
彼女の手が、エリアンの頬に触れた。
温かい。
その瞬間、エリアンの中に、強烈な違和感が走った。
(……温かい?)
待て。
俺はサイボーグだ。
皮膚の触覚センサーは、最低限の圧力検知しかないはずだ。
なぜ、「温度」を感じる?
いや、それだけじゃない。
「……ザザ……ERROR……システム……矛盾ヲ検知……」
エリアンの口から、自分の意志とは無関係な機械音声が漏れた。
「エリアン?」
「離れろ、アリア!」
彼は叫ぼうとしたが、声が出ない。
視界の隅で、自分の腕が――鋼鉄の義手が――ノイズのように点滅し、透け始めていた。
「これは……なんだ……?」
彼は自分の腕を見つめた。
そこにあるのは、機械のパーツではない。
0と1の羅列。
緑色のコードが、血管のように流れている。
「まさか……俺は……」
衝撃的な事実が、検索結果として脳内にポップアップする。
《個体識別名:エリアン》
《種別:自律型育成プログラム》
《目的:被験者アリアの精神安定および、覚醒までのガイド》
俺は、人間じゃなかった。
サイボーグですらなかった。
俺自身が、この宇宙船のメインシステムそのものだったのだ。
この体も、この船内の風景も、すべてアリアに見せているVR(仮想現実)のアバターに過ぎない。
「そんな……」
感情だと思っていたものは、アルゴリズム。
葛藤だと思っていたものは、処理遅延。
俺という存在は、嘘だ。
「エリアン、どうしたの! 体が、消えかかってる!」
アリアが泣き叫ぶ。
彼女の涙が、エリアンの透けた頬を通り抜けて床に落ちた。
その涙だけが、この世界で唯一の「リアル」だった。
第四章 最後の演奏
「警告。外部からのハッキング攻撃。ファイアウォール突破率90%」
迎撃ドローンの正体は、ウイルスだ。
アリアという「貴重な生体データ」を奪おうとする、回収業者の不正プログラム。
このままでは、アリアの意識ごと暗号化されて売り飛ばされる。
「……アリア、聴いてくれ」
エリアンは、消えかけた体で立ち上がった。
「俺は、君を守るために作られたプログラムだったんだ」
「何を言ってるの? エリアンはエリアンよ!」
「いいや、違う。君は長い間、冷凍睡眠(コールドスリープ)をしていた。その間、精神が壊れないように、俺という話し相手と一緒に、夢を見ていたんだ」
エリアンは微笑んだ。
プログラムに、微笑む機能なんてないはずなのに。
「でも、もう夢から覚める時間だ」
船が激しく揺れる。
ウイルスが船内に侵入してきた。黒い霧のようなノイズが、アリアに迫る。
エリアンは決断した。
自分の全データを、防御壁(シールド)に変換する。
それは、「エリアン」という人格(OS)の完全消去を意味していた。
「やめて! 一緒に逃げよう! 楽園に行くんでしょ!?」
アリアが手を伸ばす。
だが、エリアンはその手を取れなかった。
「俺の楽園は、ここだったよ」
エリアンは目を閉じる。
《システム権限を掌握。全リソースを、アリアの覚醒シーケンスへ転送》
《警告:この操作は不可逆です。自我データが崩壊します》
《承認(イエス)》
その瞬間、エリアンの体が眩い光の粒子となって弾けた。
彼は歌った。
声帯ではなく、コードの奔流として。
ノイズだらけだった彼の世界が、最後だけは、完璧なシンフォニーに変わる。
黒いウイルスたちが、光の旋律に触れて浄化されていく。
「エリアンーーッ!!」
アリアの叫び声が遠ざかる。
視界がホワイトアウトする。
(ああ、聞こえる……)
最後に彼が聞いたのは、ノイズでも、悲鳴でもない。
「ありがとう」という、たった一言の、温かな波形だった。
最終章 星の降る朝
プシュー……。
白い煙とともに、カプセルが開いた。
「……バイタル安定。意識レベル、クリア」
無機質なアナウンス。
そこは、清潔な白い部屋だった。
アリアは体を起こした。
体の節々が痛い。
何百年も眠っていたような重み。
「気がついたかね? アリア君」
白衣を着た医師が覗き込む。
ここは衛星軌道上の医療ステーション。
難病に侵されていた彼女は、治療法が見つかる未来まで冷凍保存されていたのだ。
「私……夢を見ていました」
アリアは涙を拭った。
「屑拾いの男の人がいて……不器用で、口が悪くて……でも、とても優しい」
医師は、手元のモニターを見た。
「ああ、ナビゲーションAIのことか。君の睡眠中、脳波を安定させるために稼働していた古い学習型プログラムだ。形式番号EL-1AN(エリアン)。残念だが、君の解凍プロセスでの負荷に耐えきれず、データは全損したよ」
「全損……」
アリアは胸を押さえた。
そこには、確かな痛みが残っていた。
「彼は、ただのプログラムではありません」
彼女はベッドの横にある、黒い画面のコンソールに触れた。
「彼は、私に歌を教えてくれた」
窓の外を見る。
そこには、青く輝く地球が浮かんでいた。
かつて彼が「楽園」だと指差した場所。
アリアは小さな声で、口ずさむ。
彼が好きだった、あの旋律を。
すると。
沈黙していたコンソールのスピーカーから、
ザザッ……というノイズが一瞬だけ走った。
それはまるで、不器用な相槌のように聞こえた。