第一章 終わりの乾杯
「エリアン。今日でお前はクビだ」
エールジョッキがぶつかり合う喧騒の中、勇者ゲイルの声だけが妙にクリアに響いた。
宿屋の木のテーブルに、重厚な革袋が投げ出される。
中身は金貨ではない。俺が今まで管理していた、安物のポーション瓶と予備の包帯だ。
「……理由を聞いても?」
俺は手元のスープをスプーンで掬いながら、視線を上げずに尋ねた。
具のない、薄い塩味のスープだ。
「理由? 鏡を見てみろよ。お前、戦闘中に何をしてる?」
ゲイルが隣に座る聖女マリアの腰に手を回し、鼻で笑う。
「俺が剣を振るう。マリアが回復する。ダンが魔法を放つ。お前は? 後ろでブツブツ言いながら、ただ突っ立ってるだけだろうが」
「それは、君たちの装備の『摩耗率』と、空間の『重力係数』を調整して……」
「ああ、もういい。その屁理屈がうざいんだよ」
大戦士ダンが、テーブルを拳で叩き割らんばかりに殴りつけた。
スープが跳ね、俺の頬を濡らす。
「俺たちは選ばれた『白銀の翼』だ。地味な荷物持ち(ポーター)は、これからのステージに相応しくねぇんだよ」
周囲の客たちが、ひそひそと嘲笑の視線を送ってくる。
俺はナプキンで頬を拭い、小さく息を吐いた。
怒りは湧かなかった。
ただ、計算式が『解』に達したときのような、静かな納得感だけがあった。
「わかった。パーティーを抜けるよ」
「お、意外と物分かりがいいな。泣いて縋るかと思ったが」
「装備のメンテナンス契約も、これで終了ということでいいんだね?」
「はっ! お前の油臭い手入れなんざ、王都の鍛冶師に頼めばもっとマシなのができるわ!」
ゲイルが嘲るように手を振る。
俺は革袋を手に取り、立ち上がった。
「忠告を一つだけ。……君の聖剣(エクスカリバー)、見た目よりずっと重いから気をつけて」
「負け惜しみか? さっさと失せろ」
背中に浴びせられる罵声をBGMに、俺は宿屋の扉を開けた。
外は冷たい雨が降っていた。
けれど、不思議と足取りは軽かった。
肩に乗っていた『世界の命運』という名の、割に合わない重荷が消えたのだから。
第二章 錆びついた街の修復士
パーティーを追放されてから、一ヶ月。
俺が流れ着いたのは、王都から遠く離れた国境の街『ルステラ』だった。
かつては鉱山の街として栄えたらしいが、今は見る影もない。
錆びついた鉄骨、崩れかけたレンガ造りの建物。
街全体が、まるで死を待つ老人のように静まり返っている。
「……良い『歪み』だ」
俺は廃工場の片隅を借り、埃を被った作業台を指でなぞった。
俺のユニークスキル***構造解析(アナライズ)***と***事象再編(リライト)***。
戦闘では地味だと馬鹿にされたが、この力の本質は『破壊』ではなく『再生』にある。
「お兄ちゃん、本当に直せるの?」
作業台の向こうから、心配そうな声が掛かる。
近所に住む少女、リリィだ。
彼女の手には、真っ二つに折れた古びた懐中時計が握られている。
亡くなった父親の形見だという。
「やってみるよ。……***構造解析***開始」
俺の瞳が青白く発光する。
視界の中で、時計の構成物質が数値化され、展開図として浮かび上がる。
歯車の摩耗率、バネの金属疲労、そして――持ち主の『想い』の残滓。
「……なるほど。単なる破損じゃない。金属が悲鳴を上げている」
俺は指先を時計にかざした。
「***事象再編***――時間軸、逆行定義」
カチリ。
小さな音が響いた瞬間、折れた金属が液状化し、生き物のように絡み合う。
錆は剥がれ落ち、曇ったガラスは透明度を取り戻す。
数秒後。
そこには、新品同様の輝きを放ち、正確に時を刻む時計があった。
「うそ……動いてる!」
リリィが目を輝かせ、時計を胸に抱きしめる。
「ありがとう、お兄ちゃん! 魔法使い様みたい!」
「ただの修復士だよ」
俺は微笑み、代金として硬貨数枚を受け取った。
勇者パーティーにいた頃の報酬とは比べ物にならないほど少ない。
けれど、この重みは悪くない。
その日から、俺の店『エリアン修復工房』には、少しずつ客が増え始めた。
刃こぼれした包丁。
穴の空いた鍋。
時には、迷宮で見つかった鑑定不能の『ガラクタ』まで。
俺にとっては、それら全てが愛おしいパズルだった。
ある日、冒険者風の男が持ち込んだ『ただの泥だらけの石版』を修復したときのことだ。
泥を***事象再編***で除去し、欠けた文字を復元すると、凄まじい魔力が噴出した。
「こ、これは……失われた古代魔法文明の設計図!?」
男は腰を抜かし、俺の手を握りしめて感謝した。
噂は風のように広がり、気づけば俺の工房には、国境警備隊長や貴族の使いまでが訪れるようになっていた。
「皮肉なもんだな」
淹れたてのコーヒーを啜りながら、俺は窓の外を眺める。
誰かのために尽くしていた頃は誰からも顧みられず、
自分の好きなことをしている今、世界が俺を求めている。
そんな穏やかな日々が続くと思っていた。
あのニュースを聞くまでは。
第三章 重すぎる聖剣
「おい、聞いたか? 『白銀の翼』が壊滅したってよ」
酒場の客が話している内容に、俺は耳を疑った。
「なんでも、深層域のドラゴンに挑んで、手も足も出ずに逃げ帰ってきたらしいぜ」
「勇者ゲイルか? あいつ、最近剣の振りが鈍いって評判だろ」
「聖女も魔力切れが早いし、どうなってんだか」
やはりか。
俺はカップを置いた。
俺がパーティーにいた頃、常時発動していたのは三つの支援魔法だ。
1. ***重量干渉***:装備重量を実質ゼロにする。
2. ***魔力循環***:大気中のマナを濾過し、彼らの魔力タンクに直結させる。
3. ***因果緩和***:敵の攻撃の「命中判定」を微妙にずらす。
これらを、詠唱もエフェクトもなく、呼吸をするように行っていた。
彼らは自分が強くなったと勘違いし、俺を追い出した。
その結果がこれだ。
カランコロン。
工房のドアベルが鳴る。
雨に濡れた客が入ってきた。
泥まみれの黄金の鎧。
かつての輝きを失った、曇った聖剣。
そして、焦点の定まらない虚ろな目。
「……エリアン」
勇者ゲイルだった。
一ヶ月前、俺を見下していた男とは別人のように憔悴しきっている。
「いらっしゃい。修復の依頼かな? その鎧、だいぶガタが来てるね」
俺は事務的に対応した。
ゲイルはその場に膝をつき、床に手をついた。
「戻ってきてくれ……!」
悲痛な叫びだった。
「お前がいなくなってから、何もかもおかしいんだ! 剣は鉛のように重い! 魔法を一発撃てばガス欠だ! 雑魚モンスターの攻撃すら避けられない!」
「それはおかしいことじゃない。それが『普通』なんだよ、ゲイル」
俺はカウンター越しに冷たく告げる。
「君たちは強かったわけじゃない。僕が下駄を履かせていただけだ」
「わ、わかった! 謝る! 報酬も弾む! 今の三倍……いや、五倍だ! だから……!」
ゲイルが這いつくばり、俺の靴に縋り付こうとする。
かつての英雄の、あまりに無様な姿。
けれど、俺の心は驚くほど凪いでいた。
優越感も、同情もない。
ただ、「この部品はもう、俺の人生という機械には合わない」という判断だけがあった。
「断るよ」
「なっ……!?」
「今の僕は、壊れた物を直すのが仕事だ。でもね、ゲイル」
俺は彼を見下ろした。
「『プライド』と『信頼』だけは、一度砕けたらどんな魔法でも直せないんだよ」
工房の奥から、リリィが顔を出す。
「お兄ちゃん、お茶入れたよー!」
「ああ、今行く」
俺はゲイルに背を向けた。
「帰ってくれ。君の重すぎる剣を支えてくれる人を、また一から探すといい」
ドアベルが鳴り、勇者は雨の中へと消えていった。
二度と戻らない栄光を背負って。
俺はリリィが入れてくれた温かいハーブティーを口にする。
香り高い湯気の中で、俺は初めて心から笑った気がした。
外は雨だが、この工房の中は、どこまでも晴れやかだった。