永遠の偶像症候群(エターナル・アイドル・シンドローム)

永遠の偶像症候群(エターナル・アイドル・シンドローム)

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第一章 バグった寿命

肺が焼けつくような熱狂。

鼓膜を飽和させる重低音と、数千本のペンライトが作り出す光の海。

私は、その渦の中心にいた。

「カナタくん……ッ!」

ステージ中央。

『Luminous Nova』の絶対的センター、星名カナタが舞う。

一糸乱れぬダンス。汗さえ演出に変える所作。

陶磁器のように白く、毛穴など存在しないかのような肌。

尊い。

けれど、直視できない。

私の網膜には、常に「死へのカウントダウン」が焼き付いているからだ。

『あと 1,024日 12時間 43分』

彼の頭上に浮かぶ、赤いデジタル数字。

それが、星名カナタの残り寿命。

ここ数ヶ月、その減り方は異常だった。激務、プレッシャー、睡眠不足。彼が輝くたび、命が削られていく。

(無理しないで……生きて……)

私は祈るように拳を握りしめる。

その時だった。

曲のサビ。カナタが客席へ指を差す。

その指先が、私の心臓を射抜いた瞬間。

ザザッ。

視界がノイズに覆われた。

「え?」

赤い数字が痙攣するように明滅する。

秒針が進まない。

数字が溶け、歪み、あり得ない形状へと再構築されていく。

『 ∞ 』

横倒しの8の字。

無限(インフィニティ)。

青白く発光するその記号が、彼の頭上に定着した。

「嘘……」

双眼鏡を覗き込む手が震える。

カナタは笑っていた。

広角を完璧な角度で吊り上げた、教科書通りのアイドルスマイル。

だが、違和感が喉元へせり上がる。

瞬きがない。

激しいダンスの後なのに、肩が呼吸で上下していない。

何より、その瞳。

黒目が、あまりに漆黒すぎる。

光を一切反射しない、底なしの空洞。

背筋を極寒の指でなぞられたような悪寒。

歓喜ではない。

生物としての本能が、警報を鳴らしている。

推しが、死なない?

永遠になった?

いや、違う。

あれは、もう「生きて」いない。

第二章 虹色の呪い

ライブ後のハイタッチ会。

ベルトコンベアのように流される列の中、私は必死に呼吸を整えていた。

目の前に、彼がいる。

至近距離で見る星名カナタは、CGのように美しかった。

美しすぎて、不気味だった。

「カナタくん、あの……」

私の順番が来る。

差し出された彼の手のひらに、恐る恐る触れる。

「っ!」

ヒヤリとした。

冷房のせいではない。

無機質な、陶器や金属に触れたような冷たさ。

脈動を感じない。

「……ありがとう」

カナタの唇が動く。

美しい声。けれど、声帯が震えている感じがしない。スピーカーから直接脳内に再生されたような響き。

私は思わず、彼の頭上から視線を外し、その「目」を覗き込んだ。

いつもなら寿命の数字が邪魔をして、目を合わせることなんてできなかったのに。

今は、『∞』が青く光るだけ。

すると、カナタが僅かに小首をかしげた。

「……珍しいね」

「え?」

「いつも君は、僕の頭の少し上を見ているのに。今日は、目が合うんだ」

心臓が止まるかと思った。

寿命が見えることは誰にも言っていない。

けれど、彼は「視線のズレ」だけで、私を個体識別していたのだ。

「あ、あの、今日は……」

言い訳を探す私の言葉を、彼は聞いていなかった。

彼の視線は、私の手首に釘付けになっていた。

そこには、公式グッズのブレスレット。

『アエテルナイト』と名付けられた、虹色に光る鉱石のレプリカ。

カナタの瞳孔が開く。

愛おしげな目ではない。

渇いた獣が、獲物の血肉を見つけたような目。

「……綺麗だね」

彼は私の手首を強く握った。

痛いほどの力。

「もっと輝かせて。その石を」

「カ、カナタくん?」

「足りないんだ。君たちの愛が。もっと、もっと焼べてくれ」

剥がしのスタッフが私の肩を掴む。

引き剥がされる瞬間、私は見た。

カナタの瞳の奥で、虹色の渦が回っているのを。

そして、彼の手が離れた瞬間、私の手首のレプリカが、ドクンと脈打ったのを。

第三章 空虚な器

自宅に戻っても、手首の熱が引かない。

安物のプラスチック製レプリカのはずなのに、ブレスレットは高熱を帯び、怪しく明滅している。

「これ……共鳴してる?」

私は震える手で、過去のライブ映像と、今日のカナタを見比べた。

過去の彼は、汗をかき、声をからし、時には音程を外して悔しがっていた。

今日の彼は、一度も汗を拭わなかった。

音程のズレはゼロ。ダンスの角度もミリ単位で正確。

完璧だ。

完璧すぎて、人間じゃない。

『アエテルナイト』。

事務所が最近売り出し始めた、謎のコンセプトジュエリー。

『永遠の輝きをあなたに』というキャッチコピー。

「まさか」

私はグッズの石を握りしめる。

熱い。

私の不安や恐怖、そして彼への執着を吸い上げるように、石の輝きが増していく。

この石が、彼の寿命(=人間性)を喰らったのか?

ファンの愛を燃料にして、彼を不老不死の「偶像」に作り変えたのか?

「確かめなきゃ……」

翌週のファンミーティング。

高額なVIPチケットを持つ数名だけが許された個室での対面。

部屋に入った瞬間、空気が凍りついているのを感じた。

ソファに座るカナタは、彫刻のように動かない。

他のファンたちは「美しい」「尊い」とため息を漏らすが、私は吐き気すら催していた。

私の番になり、向かい合う。

「カナタくん」

返事はない。

ただ、ガラス玉のような瞳が私を捉える。

「自分がどうなってるか、わかってるの? 体温がないよ。瞬きもしてない」

「……」

「アエテルナイトのせいなんでしょ? あの石が、あなたの時間を奪ってる!」

私はバッグから、熱を帯びたレプリカを取り出し、テーブルに叩きつけた。

カナタの視線が、石に吸い寄せられる。

「返してよ……不器用で、泣き虫で、人間くさいカナタくんを返して!」

私の叫び声が部屋に響く。

だが、カナタの表情筋はピクリとも動かない。

悲しみも、怒りも、困惑さえもない。

彼はゆっくりと口を開いた。

「どうして?」

「え……」

「君たちは、求めていただろう? 永遠を」

淡々とした、合成音声のような問いかけ。

「老いない顔。枯れない声。終わらない夢。僕が人間である限り、いつか君たちを失望させる。シワが増え、踊れなくなり、過去の遺物になる」

彼はテーブルの上のレプリカに指を這わせる。

その指先から、石へと青白い光が吸われていく。

「失望は、死よりも重い。だから僕は捨てた。邪魔なものをすべて」

「邪魔なものって……感情のこと? 心のこと!?」

「『偶像』に心は不要だ。必要なのは、君たちの愛を反射する鏡としての機能だけ」

彼は初めて微笑んだ。

ぞっとするほど美しく、そして空虚な笑み。

「見て、ヒカリ。今の僕は完璧だろう? もう二度と、君を悲しませない」

絶望した。

言葉が通じない。

論理が破綻しているのではない。

「人間としてのOS」がアンインストールされている。

目の前にいるのは、星名カナタの形をした、高性能なラブドールだ。

第四章 永遠の信者

「ふざけないで……!」

私は立ち上がり、彼の手を掴もうとした。

拒絶されると思った。

けれど、彼は抵抗しない。

されるがまま、無抵抗に私に触れられている。

その無関心さが、何よりも残酷だった。

「私の好きなカナタくんは……!」

泣きながら、彼の胸を叩く。

硬い。筋肉の感触ではない。

冷たい石を叩いているようだ。

「悔しがって、笑って、一緒に年を取ってくれるカナタくんなの! こんな人形じゃない!」

私の涙が、彼の手の甲に落ちる。

しかし、彼はそれを拭おうともしない。

ただ、不思議そうに観察しているだけ。

「理解できないな。君の生体反応は『拒絶』を示しているのに、君から溢れるエネルギーは、かつてないほど『純粋』だ」

「な、に……?」

「君のその悲鳴。絶望。そして執着。それこそが、最高純度のアエテルナイトを精製する」

カナタの手が、私の手を包み込む。

その瞬間。

ドクンッ!!

私が握りしめていたレプリカの石が、爆発的な熱を発した。

プラスチックが溶け、歪むのではない。

物質の組成そのものが書き換わっていく感覚。

私の「推しを人間に戻したい」という狂気的な渇望。

それが、紛い物の石を、本物の魔石へと昇華させたのだ。

「あ、あぁ……ッ!」

視界が虹色に染まる。

体中の血液が沸騰し、石へと吸い上げられていく。

痛い。苦しい。

でも、心地いい。

「すごいよ、ヒカリ」

カナタの声が、恍惚を帯びる。

「君の愛は、誰よりも重くて、暗くて、美しい。これなら、僕たちはどこまでもいける」

彼は私を抱き寄せた。

冷たい腕。けれど、そこには絶対的な「永遠」があった。

私は悟ってしまった。

もう、彼は戻らない。

人間としての星名カナタは死んだ。私が、殺したのだ。

私たちが求めた「理想」という名の凶器で。

なら。

責任を取らなきゃ。

空っぽになった彼を、誰が満たすの?

感情を失った彼に、誰が「心」を注ぎ続けるの?

私しかいない。

私の人生、私の時間、私の魂。

そのすべてを燃料としてくべ続ければ、彼は永遠に輝ける。

「……わかった」

涙が止まる。

恐怖が消え、代わりにドロリとした背徳的な悦びが腹の底に溜まる。

私が、彼の一部になる。

私が、彼の鼓動になる。

「カナタくん。私が、あなたの永遠になってあげる」

私は、虹色に変質したアエテルナイトを強く握りしめた。

その鋭利な輝きが、私の皮膚を食い破り、肉体と融合していく。

ふと、視界の端に自分の姿が映り込んだ。

鏡の中の私。

その頭上に、数字が見えた。

『あと 18,940日……』

私の寿命。

それが、パラパラと勢いよくめくれていく。

加速し、回転し、やがて意味をなさなくなり――。

カチリ。

音がして、止まった。

『 ∞ 』

青白い無限の記号が、私の頭上にも灯る。

「あはっ」

笑い声が漏れた。

私とカナタは、同じ顔で笑っていた。

瞬きもせず。呼吸も忘れ。

ただ互いの瞳に映る、無限の虚無だけを見つめて。

「大好きだよ、カナタくん」

私はペンライトのように、光り輝く自分の手を高く掲げた。

もう二度と、私たちは離れない。

この輝きが、世界を焼き尽くすその時まで。

AIによる物語の考察

この物語は、アイドル「星名カナタ」とファン「ヒカリ」の究極の共依存を描きます。
ヒカリはカナタの人間性を守ろうとしますが、最終的には彼の「永遠」を求める執着に飲まれ、自らも人間性を手放し「∞」へと変質します。カナタはファンの期待に応えるため、感情を「邪魔なもの」として切り捨て、愛を燃料とする空虚な「偶像」へと変貌する心理が描かれています。

伏線として、カナタの寿命が「∞」になる際の「ザザッ」というノイズや、瞬きや呼吸のない異様な描写が、彼が人間ではなくなったことを暗示します。また、彼がヒカリの視線のズレ(寿命を見ていること)を認識していた描写は、ファンとの非人間的な繋がりを示唆。そして「アエテルナイト」がファンの愛を吸い上げ、偶像を生成する呪具であることが徐々に明らかになります。

テーマは、ファンが求める「永遠の理想」が、偶像の人間性を奪い、さらにはファン自身をも無限の共依存システムに取り込むという、現代社会における「推し活」の光と影、そして愛と執着の歪みを深く問いかけます。
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