虚構のアステリア

虚構のアステリア

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第一章 硝子の喉、電子の歌姫

喉の奥に、焼け爛れた鉛が詰まっている。

「エレノア様、今宵の晩餐はいかがでしたか?」

宰相の問いに、私は銀のスプーンを止めた。

スープは冷めきって脂が浮き、まるで泥水のようだった。

それが真実だ。

けれど、それを口にしようとした瞬間、喉の内側から無数のガラス片が突き出し、肉を裂くような感覚が走る。

「……っ」

声にならない悲鳴を飲み込む。

鉄錆の味が口いっぱいに広がった。

王家の血に宿る『呪い』が、私の本音を物理的な苦痛に変えて押し留めるのだ。

私は能面のような笑みを貼り付け、小さく息を吐いた。

「ええ。……とても素晴らしい味でした」

嘘だ。

けれど、嘘ならば喉は焼かれない。

安堵と、吐き気を催すほどの自己嫌悪が同時に胃の腑に落ちる。

「左様でございますか(やはり、味の分からぬ氷の人形め)」

宰相の目がそう語っている。

周囲の貴族たちが交わす視線も、冷ややかな侮蔑に満ちていた。

晩餐会を逃げるように抜け出し、自室へ駆け込む。

重厚なオークの扉を閉め、鍵をかける。

ドレスの紐を乱暴に解いた。

肺が酸素を求めて喘いでいる。

世界中から拒絶され、透明な箱に閉じ込められているような閉塞感。

私は震える指で、ドレッサーの引き出しを開けた。

古びたアンティークのコンパクトミラー。

王家に伝わる秘宝であり、私に残された唯一の呼吸孔。

『虚実の鏡』アバターモジュール。

鏡面に指を這わせると、指先から冷たい光が染み渡る。

「……起動」

視界が反転する。

薄暗い寝室はノイズの海に溶け、光の粒子が舞う空間へと再構築された。

『同期完了。ようこそ、ノエル・アステラ』

私の姿が変わる。

重苦しいドレスは消え、星屑を散りばめたパーカーと、透き通る銀髪のアバターへ。

ここはバーチャル空間。

嘘で塗り固められた、優しい虚構の世界。

「あー、あー……うん、大丈夫」

喉に刺さっていたガラス片が消えた。

ここでは私は「エレノア」ではない。「ノエル」という架空の存在だ。

存在そのものが嘘だからこそ、私はここでなら、どんな言葉でも紡げる。

『配信開始』

空中に浮かぶウィンドウに、猛烈な勢いで文字が流れ始めた。

『ノエルちゃん待ってた!』

『今日の歌枠楽しみ!』

『辛いことあったけど、通知見て生き返った』

私はマイクに向かい、とびきりの笑顔を作る。

王宮では一度も見せたことのない、心からの笑顔を。

「こんノエル~! 星降る夜の歌姫、ノエル・アステラだよ! みんな、いい子にしてた?」

声が弾む。痛くない。

画面の向こうにいる何万人もの「誰か」の熱量が、肌を焼くような感覚となって伝わってくる。

雑談の最中、ふと窓の外の景色――仮想背景の庭園――が目に入った。

「そういえばね、私の住むお城の庭には、青い薔薇が咲くの。冬の寒い朝にだけ咲く、奇跡の花なんだよ」

それは、たった今思いついた出まかせだった。

現実の王宮の庭には、枯れた蔦が絡まっているだけだ。

けれど、コメント欄は驚きと称賛で埋め尽くされる。

『青い薔薇! ロマンチック!』

『見てみたいなあ』

『ノエルちゃんの住む場所は綺麗なんだね』

胸が温かい。

私のついた「美しい嘘」を、みんなが信じてくれる。

その心地よさに身を委ねながら、私はその夜、歌い続けた。

まさかその「嘘」が、私の日常を食い破ることになるとは知らずに。

第二章 侵蝕する青

翌朝。

カーテンの隙間から差し込む光が、やけに青白いことに気づいた。

目を擦りながら窓辺に歩み寄り、何気なく庭を見下ろす。

呼吸が止まった。

「……は?」

そこにあったのは、枯れた蔦ではない。

一面の、青。

透き通るようなサファイア色の花弁が、冬の庭園を埋め尽くしていた。

昨日、私が配信で語った「青い薔薇」そのものだった。

背筋を氷塊が滑り落ちるような寒気が走る。

偶然? いや、ありえない。

「おはようございます、エレノア様」

部屋に入ってきた専属メイドが、窓の外を見て微笑んだ。

「今年も青薔薇が見事に咲きましたね。先代様の頃からの自慢でございます」

耳を疑った。

彼女は何を言っている?

この庭はずっと荒れ地だったはずだ。昨日までは。

「……マリィ。あの花は、いつからあそこに?」

「え? まあ、エレノア様ったら。ずっと昔からですよ? なぜそのようなことを?」

メイドの瞳は濁っていなかった。

純粋な困惑。

彼女の記憶が、書き換えられている。

私のついた「嘘」に合わせて、世界の歴史そのものが修正されたかのように。

朝食の席でも、父王や宰相たちが「青薔薇の品評会」について真顔で議論していた。

吐き気がした。

カトラリーを持つ手が震え、皿に当たってカチカチと音を立てる。

私が世界をおかしくしている?

居ても立ってもいられず、私は王宮の地下深くにある「禁書庫」へと走った。

埃っぽい書架の奥、歴代のアバターモジュールに関する記録を漁る。

父王は「ただの通信機」だと言った。だが、こんな現象が起きるはずがない。

数時間の捜索の末、私は一冊の黒ずんだ日誌を見つけた。

初代国王の手記だ。

『我々は“真実”を恐れた。ゆえに、世界を欺くシステムを構築した』

『虚構を現実に、現実を虚構に置換する装置。その鍵を、我が娘の喉に埋め込む』

ページをめくる手が止まらない。

そこには、王国の恐るべき成り立ちが記されていた。

この国はかつて、荒廃した死の大地だった。

それを王家は、強大な幻術装置――今の『虚実の鏡』の原型――を使って、豊かな国であるという「虚構」を民衆に見せ続けることで成立させてきたのだ。

そして私の喉にある痛み。

それは呪いなどではなかった。

現実世界を維持するための『安全装置(リミッター)』。

王家の血を引く者が「真実(この国は荒れ地であること)」を語れば、魔法が解けて国が崩壊する。だから、真実を語ろうとすると身体が拒絶反応を起こすように造り変えられていたのだ。

だが、私は「ノエル」として、外の世界に向けて嘘をついた。

その嘘が何万人もの人間に観測されたことで、装置が誤作動を起こしている。

「多くの人間が信じたこと」を「現実」として出力し始めているのだ。

「……私が、世界を上書きしている」

その時、地下室の扉が乱暴に蹴破られた。

「やはりここか、エレノア!」

父王が、近衛兵を引き連れて立っていた。その顔は蒼白で、脂汗にまみれている。

「貴様、配信などという愚行で何をした! 青い薔薇だけではない。空には二つの月が浮かび、海が紅く染まったという報告が入っている! これ以上、勝手な設定を増やすな!」

「お父様……いえ、陛下。この国は、もう限界です」

私は震える足で立ち上がった。

日誌を胸に抱く。

「嘘で塗り固めた平和なんて、いつか綻びる。……民衆は、もう気づき始めています。昨日の私の配信のコメント欄、見ましたか? 『本当の世界が見たい』って、みんな言っていた」

「黙れ! 貴様を幽閉する。二度と声を発せないように、喉を潰してな!」

兵士たちが剣を抜く。

殺気。

肌が粟立つ。

私はポケットからコンパクトを取り出した。

逃げるためじゃない。

戦うために。

「確保しろ!」

兵士が飛びかかってくるのと、私が鏡を開くのは同時だった。

「……リンク・スタート!!」

第三章 崩壊の歌、再生のコード

「緊急配信! ノエル・アステラ、最初で最後の『真実』」

視界が切り替わる。

薄暗い地下室から、光溢れるステージへ。

けれど、今日のアバターはボロボロだった。

私の精神状態とリンクし、ノエルの銀髪はノイズ混じりに明滅している。

同接数は、開始数秒で桁が壊れた。

世界中が、この異変の「答え」を求めて接続してきている。

『ノエルちゃん!? 姿がおかしいよ!』

『外の空が割れてるんだけど、何が起きてるの?』

『後ろで怒鳴り声が聞こえる……』

現実の地下室では、兵士たちが私の肉体を取り押さえようとしている。

その衝撃が、アバターへの激しい負荷となって襲いかかる。

視界が赤く染まる。

「ぐっ……、あ、ああ……ッ!」

喉が焼ける。

これは現実の痛みか、データの破損か。

私はマイクスタンドにしがみついた。

「みんな、聞いて。……今日は、お伽話をやめるね」

その一言を発した瞬間、脳髄を直接ミキサーにかけられたような衝撃が走った。

リミッターが全力で私を止めようとしている。

口の端から、ツツ、と冷たい液体が垂れた。

現実の私が吐血しているのだ。

「私は……ノエルじゃない。この国の第一王女、エレノアです」

『え? 王女?』

『嘘だろ、あの氷の王女が?』

『待って、ノエルの身体が消えかかってる!』

アバターの腕が、ポリゴンの欠片となって崩れ落ちていく。

真実を語る負荷に、システムが耐えきれない。

父王の怒号が聞こえる。

『鏡を割れ! 接続を切れ!』

現実の肉体が乱暴に揺さぶられる。

意識が飛びそうだ。

もう、維持できない。

「……ごめんね。魔法が、解けちゃう……」

膝をつく。

暗転しかける視界。

その時だった。

『諦めるな!』

一つのコメントが、巨大な光の弾丸となって私の目の前に弾けた。

『演算リソースを提供する! 俺のPCを使ってくれ!』

『私のスマホの処理能力も全部あげる!』

『ノエルの場所を守れ!』

コメント欄の流れが変わった。

ただの文字ではない。

視聴者たちが、自らの端末の処理能力(CPU)を、この配信を通して私に貸し与えている。

何千万という膨大なネットワークが、崩壊しかけた『虚実の鏡』のサーバーを外側から補強し始めたのだ。

バラバラになりかけた私のアームが、光の帯によって再構成される。

冷たかった身体に、熱が戻ってくる。

それは、何万人もの「誰か」の体温。

物理的な呪いを、電子の絆が凌駕していく。

「みんな……」

喉の痛みは、もうない。

代わりにあるのは、焼き尽くすような熱狂。

私は立ち上がった。

現実の地下室で、兵士たちが吹き飛ばされる音がした。

鏡から溢れ出した膨大な魔力が、物理的な衝撃波となって父王たちを弾き飛ばしたのだ。

「王家の欺瞞はここで終わる。……世界は、私たちが決める!」

私はカメラを見据え、叫んだ。

「システム・オーバーライド! 全情報(すべてのうそ)を、真実として定着させろ!」

光が弾けた。

私の肉体、アバター、そして世界そのものが、眩い白に飲み込まれていく。

地下室の天井が吹き飛び、王宮の石壁がガラスのように透き通っていくのが見えた。

終章 瓦礫の上のアリア

風が、甘い匂いを運んでくる。

それは冬の冷たい空気ではなく、春の陽だまりのような暖かさを含んでいた。

目を開けると、そこは瓦礫の山となった王宮のテラスだった。

豪奢な屋根は消え飛び、頭上にはどこまでも高い青空が広がっている。

「……あ」

喉に触れる。

痛みはない。

錆びついたような違和感も、硝子の棘も、きれいに消え去っていた。

眼下に広がる王都を見下ろす。

そこは、混沌としていた。

石造りの家々の屋根には巨大な花が咲き、通りには空飛ぶ魚が泳いでいる。

かつて私が配信で語った「デタラメ」の数々が、現実の景色として融合していた。

けれど、人々の顔に絶望はなかった。

彼らは驚き、指差し、そして笑い合っていた。

スマートフォンを空にかざし、ARグラス越しに新しい世界を楽しんでいる。

隠されていた「真実(荒廃)」と、私が語った「虚構(理想)」が混ざり合い、新しい「現実」が生まれていた。

「エレノア様!」

背後から声がかかる。

瓦礫の陰から、埃まみれのメイド、マリィが顔を出した。

その手には、半分欠けたコンパクトミラーが握られている。

「……配信、まだ繋がってますよ」

彼女は困ったように、けれど嬉しそうに笑った。

私は鏡を受け取る。

ひび割れた画面の向こうで、コメント欄が滝のように流れていた。

『世界すげーことになってるw』

『ノエルちゃん生きてる!?』

『これが新しい国か。悪くないね』

私は髪をかき上げ、画面に向かってウィンクをした。

アバターの姿ではない。

煤と埃に汚れ、髪もボサボサの、ありのままの「エレノア」の姿で。

「お待たせ。……さて、第二章の始まりだよ」

喉の奥から、自然と笑い声が溢れた。

もう、誰も私を止めるものはいない。

王宮という鳥籠は壊れた。

私は瓦礫の上に立ち、大きく息を吸い込む。

さあ、次はどんな物語を、この新しい世界に書き加えようか。

青い薔薇が咲き乱れる廃墟の中心で、私は高らかに歌い始めた。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**: エレノアは「呪い」と嘘に縛られた王女が、虚構の歌姫ノエルとして本音を吐き出し自己を解放する。当初は世界の変容に怯えるも、最終的には自己の力を受容し、抑圧された世界を打破する。視聴者の共感が物理的な痛みを凌駕する場面は、彼女が自己の存在を肯定し、真の力に目覚める瞬間を描く。

**伏線の解説**: 喉の「呪い」は王国の欺瞞を維持する安全装置であり、「虚実の鏡」は世界そのものを書き換える秘宝であることが明かされる。ノエルが語る「嘘」が現実を侵食し始める現象は、システムの真の能力と、多数の信念が現実を形成する原理を示唆する。民衆が「本当の世界が見たい」とコメントする点も、後の世界変革への伏線となる。

**テーマ**: 物語は「真実と虚構の境界」「抑圧からの自己解放」「集合的意識が世界を再構築する力」を深く問いかける。個人の表現が、人々の共感と結合によって、既存の現実(王家の欺瞞)を打破し、真実と虚構が混じり合った新しい未来を創造する可能性を鮮やかに描いている。
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