禁断のあわい、創世の熱

禁断のあわい、創世の熱

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第一章 皮膚を灼く残響

指先の感覚が、消失しかけている。

私は黒い革手袋を噛み締めるように引き抜き、頼りなく痙攣する素手を露わにした。

地下倉庫特有の、黴と埃、そして古い紙幣の匂い。

その澱んだ空気の中、一点だけ異質な輝きを放つものがある。

年代物のクリスタルの小瓶。

『黄昏の囁き』。

ライバル企業『NOCTURNE(ノクターン)』が社運を賭けて守り抜いてきた至宝だ。

「……触れてみろよ。霧島暁」

背後から、鼓膜を直接撫で上げるような重低音が響く。

私の視界が一瞬、暗紫色のノイズで覆われた。

音色が色を持って視える。

私の脳が、彼の声を「危険な色」として認識している証拠だ。

振り返らずともわかる。

空間の酸素濃度が一気に希薄になったような、肺を押し潰す圧迫感。

海堂レン。

『NOCTURNE』の若き総帥にして、私が最も忌避すべき男。

「罠か」

喉に張り付いた乾きを剥がすように、私は声を絞り出した。

ここはオークション会場の地下深く。

本来なら、対立する二大ブランドのトップが同じ空気を吸うことすら許されない。

ましてや、こんな密室で。

「罠? 相変わらず被害妄想が激しいな」

レンが近づく気配。

革靴がコンクリートを叩くたび、硬質なリズムが私の心臓の鼓動を乱暴に上書きしていく。

足音が、黒い波紋となって私に押し寄せる。

「お前が血眼になって探していた『創世の設計図』……その欠片がこれだ」

不意に、腰に熱い鉄のような腕が回された。

逃げようとする反射神経を暴力的な膂力で封じられ、強引に小瓶へと近づけられる。

その瞬間。

世界が、割れた。

「……っ、あ……!」

私の脳髄を、鋭利な閃光が貫く。

小瓶に触れてもいない。

だというのに、ガラスの向こうに封じ込められた数百年前の液体から、どろりとした感情の濁流が溢れ出し、私の神経回路を侵食した。

視界が極彩色に歪む。

これは、匂いではない。

『渇望』だ。

――欲しい。

――この身が引き裂かれても。

――あなたと、ひとつに縫い合わされたい。

かつての持ち主が遺した、狂気じみた愛欲。

それがレンから発せられる現代の『支配欲』と共鳴し、私の理性という名の薄い膜を、内側から焼き切ろうとしている。

「顔が赤いぞ、AURORAの潔癖な王子様」

レンの指が、私の首筋を這う。

冷ややかな指先のはずなのに、触れられた場所から皮膚が融解していくような錯覚を覚える。

「……触る、な」

拒絶の言葉は、裏腹に濡れた砂糖菓子のように崩れた。

「嘘をつけ」

レンが私の耳元に唇を寄せる。

吐息が、熱風となって私の理性を煽る。

「お前の『色』が教えてくれている。俺の影に喰らわれたがっているとな」

彼は私の嘘を見抜く。

だが、私にはわからない。

この男が纏うオーラは、常に深い闇色だ。

その奥底にある感情が、憐憫なのか、侮蔑なのか、あるいは――。

唯一、私が『読めない』男。

その不可知の恐怖が、抗い難い引力となって、私の全身の血液を沸騰させていた。

レンの手が、私のシャツの第一ボタンに掛かる。

パチン。

乾いた音が、静寂の倉庫に爆音のように響き渡った。

それは、私たちが『光と影の盟約』という名の古い鎖を引きちぎり、底なしの沼へと堕ちていく始まりの合図だった。

第二章 理性の溶解点

秘密のアトリエを、激しい雨が打ち据えている。

窓ガラスを叩く雨粒が、無数の銀色の針に見えた。

だが、その冷たさは部屋の中には届かない。

ここは今、呼吸すら困難なほどの熱気に支配されていた。

机の上に広げられた古びた羊皮紙。

『創世の設計図』。

AURORAの『光』と、NOCTURNEの『影』。

二つの技術の源流が記されたその紙片からは、かつてこれを描いた恋人たちの、むせ返るような情念が立ち昇っている。

インクの匂いに混じる、鉄錆と薔薇の香り。

過去の亡霊たちが、私たちの身体を乗っ取ろうとしているかのようだ。

「見てみろ、暁。ここだ」

レンが背後から覆いかぶさる。

彼の胸板が私の背中に押し付けられる。

熱い。

ただの体温ではない。

彼の中にある、私への執着という名のマグマが、衣類という障壁を透過し、私の脊髄に直接注ぎ込まれていく。

「……構造が、逆だ」

私は机の縁を掴み、必死に意識のピントを合わせようとした。

視界の端が、熱で溶け出したフィルムのように白く滲んでいる。

「光を反射するのではなく……吸収して、内部で増幅させている」

「そう。まるで、今の俺たちのように」

レンが私の首筋に歯を立てた。

ちくりとした鋭い痛み。

その直後、痺れるような甘い毒が血管を駆け巡り、脳の芯を白く染め上げる。

「あ……っ!」

思考が、千切れる。

私の意志とは無関係に、身体の奥底にある鍵穴が、彼という鍵を待ちわびて軋んだ音を立てた。

「設計図の謎を解くには、再現が必要だろ?」

レンの手が、私の衣服を剥ぎ取っていく。

布擦れの音が、雷鳴よりも大きく鼓膜を震わせた。

「暁、お前のその目で感じ取れ。俺の感情を。この設計図に込められた、先人たちの狂気を」

「やめ……これ以上は……私が、消える……」

「消えろ。俺の色に染まって」

抵抗は無意味だった。

彼の手が素肌に触れた瞬間、世界が反転した。

私の意識は、色彩の渦に飲み込まれた。

彼と触れ合う境界線が曖昧になり、私という個体が液状化して、彼の中に溶け込んでいく感覚。

それは暴力的なまでの充足。

私の「完璧主義」という硬い殻が、彼の圧倒的な熱量によって飴細工のように無惨に溶かされていく。

熱い。

苦しい。

でも、離れられない。

視界いっぱいに広がるのは、レンの瞳の奥にある、底知れぬ暗黒。

そこに引きずり込まれることが、今の私にとって唯一の救済だった。

――混ざり合う。

布地を縫い合わせるように。

異なる色の糸が絡み合い、二度と解けない結び目を作るように。

私の魂が、彼によって裁断され、再構築されていく。

「……名前を、呼べ」

レンが低く、祈るように命令する。

私は酸素を求める魚のように口を開き、その名を紡いだ。

「レン……っ、レン……!」

私の輪郭が完全に崩壊する。

その瞬間、網膜に鮮烈な幻視が浮かんだ。

数世紀前の、設計図を書いた男女。

彼らもまた、こうして禁断の夜に身を焦がし、互いの存在を貪り尽くすことでしか、あの神懸かったデザインを生み出せなかったのだ。

歴史の闇に葬られた情熱が、今、私たちの神経を通して蘇る。

私はレンの背中に爪を立て、極彩色の波に飲まれた。

その波はあまりに高く、深く、私という存在を跡形もなく消し去ってしまった。

第三章 第三の夜明け

破滅は、白い閃光と共に訪れた。

週刊誌のフラッシュ。

役員会での怒号。

家門からの絶縁状。

私たちの関係は、最も醜聞な形で白日の下に晒された。

AURORAとNOCTURNEの株価は暴落し、業界は蜂の巣をつついたような大混乱に陥った。

スマートフォンが震え続ける。

画面に溢れる誹謗中傷の文字が、黒い蟲のように這い回って見える。

「怖いか?」

ホテルの薄暗い一室。

レンが、窓の外の喧騒を見下ろしながら問うた。

その背中には、もう以前のような傲慢な鎧はない。

ただ、一人の男としての静かな覚悟だけが漂っていた。

「いいや」

私はネクタイを締め直し、鏡の中の自分を見つめた。

顔色は悪い。だが、瞳にはかつてないほど澄んだ光が宿っている。

「もう、失うものは何もないからな」

私たちは、世界の視線が集まる記者会見の場に立った。

無数のカメラのレンズが、銃口のように私たちを狙っている。

フラッシュの嵐が、視神経を灼くような白として襲いかかる。

だが、私たちは謝罪しなかった。

頭も下げなかった。

そこで公開したのは、完成させた『創世の設計図』と、そこに記された真実の歴史。

かつての両家の創始者は、敵対していたのではない。

あまりに深く愛し合い、その愛の結晶として『最高の一着』を作ろうとした。

だが、周囲の嫉妬と因習が二人を引き裂いたのだ。

その証拠となる古文書のデータと、私たちが夜を徹して再構築した技術理論を、全てネット上に放流した。

『送信完了』の文字が表示された瞬間、会場がどよめいた。

それは、私たちが積み上げてきたブランドの権威を、自らの手で灰にする行為だった。

怒号が飛び交う。

マイクが投げられる音。

誰かが叫んでいる。

だが、私にとって、それらは遠い海の底の出来事のようだった。

隣に立つレンの手が、演台の下で私の手を強く握りしめた。

その掌から伝わってくるのは、もう焦げ付くような「渇望」ではない。

確固たる「信頼」と、静かに、しかし永遠に燃え続ける「愛」の温もりだった。

指先が震えているのがわかる。

彼もまた、恐れていたのだ。

私を失うことを。

この世界から爪弾きにされることを。

その震えが、何よりも雄弁に彼の心を語っていた。

私は彼の指に、自分の指を絡めた。

強く、痛いほどに。

私たちは混乱に乗じて会場を後にした。

背後で崩れ落ちる古い世界を振り返ることはない。

地位も、名誉も、名前さえも捨てて。

ただ、繋いだ手の温もりだけを道標に。

最終章 背徳のクチュール

人里離れた、海岸沿いの古い別荘。

風が運ぶ潮の香りが、鼻腔をくすぐる。

ここが、私たちの新しい城だ。

世間では、私たちは「追放された堕天使」として語られているらしい。

あるいは、業界を破壊した狂人として。

だが、ここでは誰も私たちを邪魔しない。

「……いい生地だ」

レンが、私が織り上げたばかりのシルクを指先で愛でる。

その手つきは、まるで壊れ物を扱うように繊細だ。

夜になれば、その指は私の肌を同じように辿るのだろう。

私たちは、名前のないブランドを立ち上げた。

タグには何も記さない。

ただ、その服に袖を通した者だけが感じる、圧倒的な美と、微かな背徳の残り香。

口コミは地下水脈のように広がり、今や世界中の熱狂的な信奉者が、私たちの「作品」を求めて彷徨っているという。

「暁」

不意に、背後から温かい質量に包まれた。

レンが私を抱きすくめる。

作業台の上の布地が、衣擦れの音を立てた。

「また、熱を感じているのか?」

耳元での囁きに、私の背筋が粟立つ。

「……ああ」

私は彼の腕の中で、力を抜いて身を預けた。

彼から流れ込んでくる情動の色。

それは以前のような、攻撃的な赤や黒ではない。

もっと深く、透明で、それでいて逃れられないほど粘度の高い、群青色の愛欲。

「続きをしよう。服を作るのは、その後だ」

レンの手が、私のシャツの裾から滑り込んでくる。

温かく、大きな掌が、私の皮膚と一体化するように密着する。

「……んっ」

甘い吐息が、意図せず漏れる。

私の身体は、まるで条件反射のように、彼の体温を感じただけで芯から熱を帯び始めていた。

公には存在しない二人。

歴史から消された恋人たち。

だが、この閉ざされた楽園で、私たちは毎夜、互いの魂を縫い合わせるように確かめ合う。

肌と肌が触れ合うたび、新たなインスピレーションが閃光のように走る。

それを形にするたび、世界は私たちの才能にひれ伏すのだ。

「愛しているよ、暁」

レンが初めて口にしたその言葉は、どんな真実よりも重く、私の胸を貫いた。

彼が嘘をついているかどうかなんて、もうどうでもいい。

私に見える彼の「色」が、かつてないほど澄み渡っていることが全ての答えだった。

私は彼の首に腕を回し、深い口づけで答えた。

私たちは堕ちたのではない。

誰よりも高い、二人だけの空へと飛翔したのだ。

カーテンの隙間から差し込む夜明けの光が、絡み合う私たちの輪郭を、神々しいまでに照らし出していた。

終わることのない、情熱と創造の物語。

それが、私たちが選んだ永遠だ。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**
完璧主義の霧島暁は、宿敵・海堂レンの支配欲と熱に触れ、抑圧していた自身の狂気じみた渇望を覚醒させます。レンは暁への深く歪んだ執着から、最終的には純粋な愛へと感情を昇華させます。二人は互いの禁断の感情を映し出し、自身の「真実」と向き合うことで、互いに変容し、唯一無二の存在となっていきます。

**伏線の解説**
「黄昏の囁き」や「創世の設計図」は、単なる物品ではなく、過去の持ち主たちの狂おしい情念が封じ込められた触媒として機能します。設計図に記された過去の恋人たちの歴史が、レンと暁の関係を強く示唆し、「光と影の盟約」という古い因習の鎖を引きちぎるきっかけとなります。暁の共感覚は、理性とは裏腹な本能を露わにする装置です。

**テーマ**
本作は「禁断の愛と創造」を主軸に、社会規範や既存の権威を打ち破ることで生まれる真の美と芸術、そして自己の解放を描きます。対立する二人が互いの「影」を受け入れ、社会から追放されることで、かえって純粋な創造性と愛に到達するという、背徳的で哲学的なテーマを問いかけます。彼らは破滅したのではなく、二人だけの新しい楽園へと飛翔したのです。
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