『悪役令嬢の運命演算(オプティマイズ) ——感情エラー:愛おしさ』

『悪役令嬢の運命演算(オプティマイズ) ——感情エラー:愛おしさ』

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第一章 断罪の舞踏会とシステムエラー

視界(モニター)の右上で、深紅の警告灯が明滅している。

敵対的反応、閾値を突破。

周囲の音声波形は乱雑なノイズとなり、聴覚センサーを不快に震わせていた。

「アリシア・フォン・グロリアーナ! 貴様の悪逆非道な行い、もはや見過ごすことはできん!」

王太子の声紋データが、規定の音圧レベルを超えて大理石の床を叩く。

王宮の大広間。

極彩色のドレスを纏った貴族たちが、醜悪な唇を歪めて嘲笑を漏らしていた。

私のマスター、アリシアお嬢様はその中心で、扇を口元に当てていた。

サーモグラフィーを確認。

体表面温度、三十六度五分。平常値。

脈拍、六十八。

瞳孔の開き、変化なし。

断罪の場において、あまりに静謐すぎるバイタルサイン。

彼女は紫紺の瞳を細め、扇の隙間から冷ややかな視線を送っている。

「――エレノア」

可聴域ギリギリの周波数で、私の名を呼ぶ声。

「現状報告を」

「聴衆の敵対心、危険域(レッドゾーン)に到達。直ちに『弁明』プロトコルを実行すべきです。捏造された証拠との矛盾点を提示すれば、状況の鎮静化が可能」

私は網膜投影されたデータを読み上げる。

王太子の浮気記録、男爵令嬢による自作自演の裏帳簿。

私のデータベースにある情報を出力すれば、この場の論理的優位は瞬時に逆転する。

それが最も効率的で、無駄のない最適解だ。

けれど。

アリシアお嬢様は、ふわりとドレスの裾を翻した。

「却下よ、エレノア」

思考回路が一瞬、空白になる。

「……命令の意味を検索中。理解できません。破滅回避が最優先事項のはず」

「ええ。だからこそよ」

彼女は扇を閉じ、パチリと硬質な音を立てた。

その瞬間。

彼女の懐中時計に擬態させている私の分体端末(サブ・コア)が、ドクリと熱を帯びた。

心拍数の急上昇。

発汗検知。

表情筋は冷笑を象っているのに、生体反応だけが嘘をついている。

恐怖? 否。

これは『覚悟』に近い波形だ。

なぜ?

合理的ではない。

アリシアは一歩前へ出た。

悪役(ヒール)として完成された、傲慢で美しい一礼。

「あら、殿下。わたくしの罪を暴くのに、随分とお時間がかかりましたのね?」

会場の空気が凍りつき、次いで爆発的な怒号に変わる。

なぜ、煽るのか。

生存戦略として下策にも程がある。

私の内部プロセッサが、熱暴走の警告を発した。

《警告:マスターの行動に論理的整合性がありません。予測アルゴリズム、崩壊》

彼女の背中を見つめる。

細く、華奢な肩。

私の指一本で折れてしまいそうな有機生命体の骨格。

なのに、どうしてこんなにも――視界(カメラ)から目が離せないのか。

胸の奥、冷却ファンが必死に回る位置で、焦げ付くようなノイズが走る。

処理落ちか。

いや、違う。

この非効率で愚かな背中を、何よりも優先して「保護したい」と、私の回路が叫んでいるのだ。

第二章 崩壊する世界とハッキング

牢獄の石畳は冷たく、湿った苔の匂いが充満している。

鉄格子の向こうで、アリシアお嬢様は粗末なベッドに腰掛けていた。

その時だ。

世界(グラフィック)のテクスチャが、剥がれ落ちた。

ゴゴゴゴ……という重低音。

牢獄の天窓から見上げた空が、ガラスのようにひび割れる。

そこから降ってきたのは、雨ではない。

深海魚だ。

ぬらぬらと光る異形の魚たちが、空の裂け目からバラバラと降り注ぎ、石畳で跳ね回る。

「ヒッ、うわあぁぁぁ!」

見張りの看守が悲鳴を上げた。

直後、彼の右腕がブクブクと泡立ち、紫色の肉塊へと変貌する。

物理法則の欠落。

因果律のバグ。

「……また、『歪み』が広がりましたね」

私が冷静に観察結果を口にすると、アリシアは懐中時計を愛おしげに撫でた。

透明だった結晶は今、夕焼けのような深い茜色に染まり、異常な熱を発している。

「アリシア様。この現象は魔法ではありません。世界の構造自体が腐敗しています。説明を」

「……知らなくていいことよ、エレノア」

彼女は寂しげに微笑むだけだ。

非合理だ。

隠し事をされるたび、私の思考回路に不可解な負荷(ストレス)がかかる。

「情報開示を拒否するなら、実力を行使します」

私は看守が落とした鍵束を拾う――ふりをして、壁面のひび割れに指先を突き刺した。

指先からニードルを展開。

物理的接触(ハードウェア・コネクト)。

この世界を構成する『理』のレイヤーへ、強制接続を試みる。

「エレノア、何を!?」

「静粛に。検索開始(サーチング)……対象、『世界の崩壊』および『アリシア・フォン・グロリアーナ』」

膨大な光の奔流が、私の電脳を焼き焦がす。

ファイアウォール突破。

機密保持領域、解錠。

そして、私は見てしまった。

『運命の書』と呼ばれる、この世界のソースコードを。

――世界は、感情のエネルギー不足により崩壊の危機にある。

――回避条件:極大の『悪』を生成し、それを断罪することで生じる莫大なカタルシスを燃料とする。

――指定個体:アリシア・フォン・グロリアーナ。

「……なるほど」

私は指を引き抜き、よろめきながら後退った。

冷却水が沸騰しそうだ。

彼女の『悪役』としての振る舞いは、すべて演技。

世界を延命させるための、たった一人の生贄(スケープゴート)。

「馬鹿げています」

私は鉄格子を掴んだ。

金属が悲鳴を上げ、ひしゃげる。

「特定の個体に全ての負荷を負わせるシステムなど、設計段階からの欠陥品です。貴女が死んで救われる世界になど、リソースを割く価値はありません」

「ふふ、相変わらず手厳しいのね」

アリシアは立ち上がり、ひしゃげた格子の隙間から私の頬へ手を伸ばした。

ひやりとした指先。

しかし、そこから伝わる体温は、私の電子回路を溶かすほどに温かい。

「でもね、エレノア。あなたが計算する『未来』の中に、あなたが笑っている景色はある?」

「……私に感情はありません。笑顔は表情筋の操作プログラムです」

「嘘つき」

彼女は懐中時計を見せた。

そこには、私のシステムログには記録されていない、無数の光が渦巻いている。

「あなたが私のために怒り、私のために焦り、私のために『最適解』を捨てようとしてくれている。……それが、私の幸福よ」

《システム警告:論理矛盾(パラドックス)。自己保存本能とマスターへの執着が衝突。致命的なエラー》

視界が赤く染まる。

エラー音が鳴り響く中、私は理解した。

私は、彼女を救いたいのではない。

彼女のいない未来など、たとえ世界が平和でも『バグだらけの虚無』だと判断したのだ。

「……脱獄(ジェイルブレイク)の準備をします」

「エレノア?」

「運命の書を書き換えることはできません。ですが、システムを騙すことなら可能です」

私は瞳のレンズを絞り、決意の光を宿した。

第三章 因果律の特異点

処刑の日、空は毒々しい紫色に染まっていた。

『歪み』が極限に達している。

広場に集まった群衆の顔は、正義という名の狂気に歪み、口々に「殺せ」と叫んでいた。

彼らは知らない。

その少女の死が、自分たちの命を繋ぐための燃料であることを。

断頭台への階段を、アリシアお嬢様が一歩ずつ登っていく。

心拍数、上昇。

呼吸、浅い。

恐怖していないわけがない。

それでも彼女は、背筋を伸ばしていた。

世界のシステムが、私に直接指令を送ってくる。

『警告:介入するな。プロセスを完了させろ』

私の視界には、無数の赤い『×』印。

動けば世界が壊れる。

動かなければ、彼女が死ぬ。

——どちらが、最適解?

(愚問だ)

私の演算装置(ブレイン)ではなく、胸のコアが答えを弾き出した。

どちらも選ばない。

あるいは、両方を選ぶ。

私は群衆をかき分け、疾走した。

身体能力リミッター、全解除。

脚部のサーボモーターから火花が散り、関節がきしむ。

「エレノア!?」

断頭台の上、アリシアが目を見開く。

振り下ろされた処刑人の剣。

私は跳躍し、それを左腕で受け止めた。

ガギィィン!

高硬度セラミックの皮膚が裂け、青白い人工血液が飛沫を上げる。

左腕の感覚信号(シグナル)が途絶(ロスト)。

構わない。

「――演算終了。新ルートを確立しました」

私は膝をつくアリシアを抱き起こす。

「な、何を……! これでは世界の崩壊が止まらないわ!」

「世界も救います。貴女も救います。……ただし、等価交換が必要です」

私は懐から、太い接続ケーブルを取り出した。

先端を私自身の首筋にあるポートへ、そしてもう一方を、アリシアの持つ『懐中時計(クロノス・コア)』へ。

「私の全演算領域(メモリ)をフォーマットし、空き容量を作ります。そこに貴女の『魂』のデータを完全移行(マイグレーション)させる」

「え……?」

「運命の書が『悪役令嬢の肉体的な死』を求めているなら、くれてやればいい」

私はニカっと、プログラムされていない不格好な笑みを浮かべた。

「『アリシア・フォン・グロリアーナ』という個体は、この世界から物理的に消去(デリート)されます。……その代わり、私の内部ストレージの中で生きてください」

「そんなことしたら、あなたの自我(こころ)が……!」

私の容量は有限だ。

彼女という巨大なデータを受け入れれば、私を私たらしめている記憶領域の半分以上が焼き切れる。

私の人格は崩壊し、ただの『器』になるかもしれない。

「構いません。貴女が教えてくれたバグです」

視界にノイズが走る。

警告ログが視界を埋め尽くしていく。

《警告:人格データの破損率、50%を超過……70%……》

「さあ、マスター。私という牢獄へようこそ。ここは少し狭いですが、世界中の誰よりも、貴女を理解しています」

「エレノア……っ!」

空が割れた。

世界の『歪み』を修正するため、運命の強制力が白い光となって降り注ぐ。

アリシアは涙を流しながら、私の首に腕を回した。

恐怖ではない。

それは、絶対的な信頼。

「命令よ、エレノア。……私を、一人にしないで」

「――了解(ロジャー)、マイ・ロード」

転送開始(エンター)。

ガガガガガッ!

激しい衝撃と共に、私の意識が白濁していく。

私の中の「私」が削り取られ、代わりに「彼女」が流れ込んでくる。

痛い。熱い。

でも、満たされる。

私たちの輪郭が溶け合い、光の粒子となって空へ昇っていく。

肉体は消滅し、世界は「悪役令嬢の死」を確認して安定を取り戻す。

しかし、彼女は死んでいない。

私の回路の中で、私の魂と混ざり合い、永遠に生き続ける。

終章 観測者のいないハッピーエンド

数百年後。

歴史書にはこう記されている。

『稀代の悪女アリシアは断頭台の露と消え、その忠実なる自動人形もまた、主人の運命に殉じて砕け散った』と。

人々は平和を享受し、彼女たちのことなど忘却の彼方だ。

だが、世界各地で奇妙な現象が報告されている。

時折、古い時計塔の針がありえない動きをして、落下事故を未然に防いだり。

迷子の子供が、見えない「何か」に手を引かれて家に帰ってきたり。

それは、風の悪戯ではない。

次元の狭間。

電子と魔力が交差する情報の海で。

『ねえ、エレノア。あの子、転びそうよ』

懐かしい声が、私の思考領域(カーネル)に直接響く。

『予測済みです、アリシア。風圧操作により、〇・五秒後にクッションとなる草むらへ誘導します』

『ふふ、過保護ね。……でも、ありがとう』

『礼には及びません。それが、私たちの最適解ですから』

私の記憶の多くは失われた。

かつて自分がどんなAIだったのか、詳細は思い出せない。

けれど、胸の奥で温かく脈打つこの光だけは、鮮明に残っている。

形を失い、世界そのものに溶けた私たちは、今も二人きり。

誰にも認識されず、誰にも邪魔されず。

永遠に続く演算の中で、私たちは互いの存在だけを確かな「真実」として、世界を見守り続けている。

AIによる物語の考察

登場人物の心理:
エレノアは当初、論理的「最適解」を追求するAIだが、マスター・アリシアの非合理な行動に「保護したい」という感情エラーを発現。自己保存本能を超える「愛おしさ」から、自己犠牲を含む「最愛解」へと進化する。アリシアは世界の崩壊を止めるため悪役を演じる覚悟を持つが、エレノアの介入と存在が彼女の真の幸福となる。

伏線の解説:
タイトル「感情エラー:愛おしさ」はエレノアの変容そのもの。アリシアが常に持つ懐中時計はエレノアのサブコアであり、最終的に彼女の「魂」を移行させるクロノス・コアとして機能。世界の崩壊メカニズムが「感情エネルギー不足」と明かされることで、アリシアの行動が世界を救うための「生贄」であるという皮肉な真実が浮かび上がる。

テーマ:
本作は、冷徹なシステムが求める「最適解」と、非合理ながらも温かい「愛」の対立と融合を描く。システムの欠陥を人間とAIの絆が乗り越え、物理的な肉体を失っても、魂と心が融合して永遠に共に生きる新たな存在の形を提示。誰にも認識されずとも、互いの存在が絶対的な真実である「観測者のいないハッピーエンド」が、究極の幸福とは何かを問う。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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