第一章 断罪と培養
断罪劇は、いつも突然に幕を開ける。
「エララ・フォン・ミュコー! 貴様のその不潔な性根には、もう我慢ならん!」
王立学院の大広間。きらびやかなシャンデリアの下、ジェラルド第二王子の怒声が響き渡った。
周囲の貴族たちがさっと道を空ける。
その中心で、私は優雅にカーテシーを決めた。
「不潔、とは心外ですわね、殿下」
「黙れ! 貴様、厨房で何をした? 食材を壺に詰め込み、ドロドロに腐らせたそうではないか! 聖なる糧を冒涜する『腐敗の魔女』め!」
彼の隣には、可愛らしいピンク髪の男爵令嬢が怯えたように震えている。
「エララ様……あんなに臭いものを……私、怖くて」
ああ、なんてこと。
私は扇子で口元を隠し、思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
私の視界には、彼らには見えない『世界』が映っている。
前世、国立大学で応用微生物学を修め、研究室の菌たちを我が子のように愛でていた記憶。
電力今世で目覚めた、微生物を視認し、対話できる『顕微鏡眼』のスキル。
王子の皮膚の上、男爵令嬢のドレスの裾。
そこには黄色ブドウ球菌が楽しそうにダンスを踊っている。
「殿下。あれは腐敗ではなく『発酵』ですわ」
「言い訳無用! 貴様との婚約は破棄する! 辺境の痩せた土地、モールド領へ蟄居を命ず!」
モールド領。
一年中ジメジメしていて、作物が育たないと言われる不毛の地。
けれど、私の目には輝かしい未来しか見えなかった。
「謹んでお受けいたしますわ」
私はニッコリと微笑む。
(あそこの湿度は、麹菌の培養に最適じゃない!)
第二章 辺境の研究所
モールド領の屋敷は、期待通りのボロ屋だった。
隙間風が吹き込み、壁にはカビが生えている。
「ひ、酷い場所ですね、お嬢様……」
ついてきてくれた唯一の侍女、リナが涙目で鼻を押さえた。
「いいえ、リナ。ここは楽園よ」
私は壁のシミを愛おしげに撫でた。
この独特の青緑色。
「見て、この素晴らしいペニシリウム! それに、あそこの樽に住み着いているのは……強力な酵母ね」
「お、お嬢様がまた虚空に話しかけている……」
私は即座に行動を開始した。
この領地は大豆だけは育つが、売れずに倉庫で腐るばかりだという。
「腐る前に、彼らの力を借りるのよ」
私は煮た大豆を稲わら(枯草菌の宝庫だ!)に包み、一定の温度を保った室(ムロ)に寝かせた。
三日後。
「うっ……お嬢様、これ、靴下の臭いがします!」
「失礼ね。これは『神の香り』よ」
藁を開くと、そこには白く粉を吹いた豆。
箸で持ち上げれば、美しい銀色の糸がどこまでも伸びる。
「粘りよし。香りよし。菌の活動、極めて良好」
口に運ぶと、濃厚な旨味が舌の上で爆発した。
さらに、蔵に住み着いていた酵母と麹菌を掛け合わせ、醤油と味噌の仕込みも完了。
湿気の多いこの土地は、天然の発酵タンクそのものだった。
領民たちは最初、私を気味悪がっていた。
けれど、私の作った『腐った豆のスープ』を一口飲んだ瞬間、彼らの瞳の色が変わった。
「う、うめえええ!」
「体がポカポカするぞ!?」
旨味成分グルタミン酸の暴力。
未開の舌には、刺激が強すぎたかもしれない。
こうして、モールド領は『腐敗の地』から『黄金の郷』へと変貌を遂げ始めた。
第三章 王都の崩壊と救世主
それから半年後。
王国は未曾有の危機に瀕していた。
長雨による冷害。
小麦は育たず、家畜は疫病で倒れ、王都には飢餓が蔓延していた。
そんな中、一台の馬車が王城の門をくぐる。
積み荷からは、独特の香ばしい匂いが漂っていた。
謁見の間。
かつて私を断罪したジェラルド王子は、頬がこけ、目の下に濃い隈を作っていた。
「エ、エララ……か? その、噂は聞いている。モールド領だけが、豊かだと」
「ご機謙よう、殿下。お加減が悪そうですわね? 腸内フローラのバランスが最悪ですわよ」
私は扇子を広げ、クスクスと笑う。
「た、助けてくれ。民が飢えているのだ。食料を……あの、粘る豆を分けてくれ」
「あら、あれは『腐敗物』ではなかったのですか?」
「間違いだった! あれは……そう、神の恵みだ!」
プライドをかなぐり捨てて頭を下げる王子。
その背中には、以前のような覇気はない。
私は持参した壺を、コツンと床に置いた。
「条件がございます」
「な、なんだ? 金か? 地位か? 正妃の座に戻りたいと言うなら……」
「いいえ、そんな面倒なものはいりません」
私はキッパリと言い放った。
「王立研究所の設立と、全権限を私にください。あと、この国中の地下牢を全て、私の『発酵蔵』として開放していただきます」
「は……? 地下牢を?」
「ええ。あそこの温度と湿度が熟成に最高なんです」
王子は呆気にとられていたが、背に腹は代えられない。
契約は成立した。
第四章 菌類女王の誕生
王都に炊き出しの煙が立ち上る。
味噌の香りが漂うだけで、人々の顔に赤みが差していく。
納豆、味噌、漬物、そして特製の甘酒。
必須アミノ酸とビタミンの爆弾が、栄養失調の民たちを劇的に回復させていった。
「魔女様万歳!」
「腐敗の女神様!」
いつしか私は、畏怖と感謝を込めてそう呼ばれるようになっていた。
かつて私を断罪した大広間。
私は今、白衣のようなドレスを纏い、玉座の隣に立っている。
「エララ、君のおかげだ。改めて、私と……」
復縁を迫ろうとする王子の手を、私はスルリと避けた。
「申し訳ありません、殿下。私、菌の世話で忙しいので」
私の視線の先には、王子よりも魅力的な、培養瓶の中でプクプクと泡を吐く酵母たち。
「さあ、次は青カビから抗生物質を精製して、感染症を根絶しますわよ。忙しくなりそうだわ!」
私の瞳は、顕微鏡を覗き込むときのように怪しく輝いていた。
この国はもう、王家のものではない。
私と、私の愛する『菌』たちが支配する、巨大な実験場なのだから。
(ふふふ、次はチーズね。王家の宝物庫、熟成庫にちょうどいいわ……!)
私の哄笑は、美味しい発酵ガスの香りと共に、王国中に広がっていった。