透明な告発者と砂時計のオルゴール

透明な告発者と砂時計のオルゴール

0 4004 文字 読了目安: 約8分
文字サイズ:
表示モード:

第一章 澱みの底で拾う声

「おい灰田、手ェ動かせ! 突っ立ってると給料引くぞ!」

現場監督の怒号が、地下特有の湿った空気の中で反響する。

灰田ユウはびくりと肩を震わせ、反射的に古びたヘルメットを目深にかぶった。

「す、すみません……」

蚊の鳴くような声は、巨大な換気扇の轟音にかき消される。

ここは都市の最下層、指定廃棄物処理場。

地上で暮らす人々が捨てた「見たくないもの」すべてが流れ着く場所だ。

腐敗した有機物の甘ったるい臭気と、廃液の刺すような刺激臭。

防毒マスクのフィルター越しでも、肺が焼けるような感覚がある。

ユウがゴム手袋をはめた手で、ヘドロにまみれた瓦礫を掴んだ瞬間。

視神経に、直接針を突き立てられたような激痛が走った。

「……ッ、ぐ」

視界が歪む。

瓦礫から立ち上る、ドス黒い赤色の陽炎。

誰かがこの家具を捨てた時の、煮えたぎるような憎悪。

それが色となり、熱となって、ユウの網膜を焦がす。

吐き気を飲み込み、それをコンベアに放り投げる。

この仕事について三年。

モノに宿る『記憶』が見えてしまうこの目は、ここでは呪いでしかなかった。

作業終了のブザーが鳴る直前。

ユウの足元で、泥にまみれたガラス質の輝きがあった。

それは、瓦礫の山には不釣り合いなほど繊細な、木製の小箱だった。

嵌め込まれたガラスの中には、砂時計。

そして、精巧な装飾が施されたオルゴール。

吸い寄せられるように手を伸ばす。

指先が触れた、その刹那。

『――――ッ!』

ユウの脳内で、何かが破裂した。

映像ではない。感覚の奔流だ。

全身をコンクリートに叩きつけられる衝撃。

肺を圧迫する冷たい土の重み。

そして、喉が張り裂けるほど叫んでも、誰にも届かない絶対的な孤独。

(痛い、暗い、助けて、お父さん)

少女の絶望が、氷の刃となってユウの心臓を貫く。

膝が震え、その場に崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。

ただのゴミじゃない。

これは、まだ温かい。

殺された瞬間の鮮烈な「生」が、この箱の中に閉じ込められている。

「……連れて、行かなきゃ」

ユウは震える手でそのオルゴールを懐に隠した。

作業着の胸ポケット越しに、少女の震えが伝染してくる。

見つけてしまった。

また、この都市が葬り去ろうとした闇を。

第二章 希薄化する指先

狭いアパートの一室。

遮光カーテンで閉ざされた部屋には、複数のモニターが放つ青白い光だけが満ちている。

帰宅してから一時間。ユウはまだ震えていた。

喉が渇き、マグカップに手を伸ばす。

カツン。

乾いた音がして、カップが倒れた。

中身の水がテーブルに広がる。

ユウは自分の右手を凝視した。

「……え?」

指先が、透けていた。

こぼれた水たまりが、人差し指の向こう側で揺れているのが見える。

慌てて左手で右手を掴もうとするが、まるで霧を掴むように、指が手首をすり抜けた。

恐怖で心臓が早鐘を打つ。

これが代償だ。

過去、何度か『視えた』ものをネットで告発するたびに、ユウの影は薄くなっていた。

コンビニの店員が目の前のユウに気づかず、自動ドアが反応しなくなったのは先週のこと。

世界が、灰田ユウという異物を排除しようとしている。

このまま関われば、次は指だけじゃ済まない。

完全に消滅する。

(逃げろ。捨ててしまえ)

生存本能が叫ぶ。

だが、机の上に置いたオルゴールから、あの冷たい「助けて」が絶えず流れ込んでくる。

彼女も同じだったはずだ。

誰にも気づかれず、暗い地下で、ゴミのように捨てられた。

今の自分と同じだ。

「……やるしか、ないんだろ」

ユウは震える両頬を、感覚のない手で叩いた。

覚悟を決める。

鏡の前に立つ。

猫背で、目つきの悪い、死んだような目の男。

そいつに別れを告げるように、深くフードを目深にかぶった。

呼吸を整える。

腹の底から空気を吸い込み、肺の中で恐怖と混ぜ合わせる。

スイッチ、オン。

「――ようこそ、闇の奥底へ。今夜も『都市の真実』を掃除(スイープ)する時間がやってきた」

マイクに向かって放たれた声は、意図的にトーンを落とした、低く、不敵な響きを持っていた。

震える手は見せない。

恐怖で引きつる口元は隠す。

演じるのだ。都市の闇を暴く、正体不明のカリスマ『ナイト・スイーパー』を。

画面には、瞬く間に増えていく視聴者数。

《待ってました!》

《今日はどんなネタ?》

《例の政治家の裏金、マジだったらしいな》

コメントが滝のように流れる。

この瞬間だけが、ユウが世界に「存在」できる唯一の時間。

「今日見つけたのは、これだ」

ユウは、拾ってきた『砂時計のオルゴール』をカメラの前に置いた。

特殊なレンズ越しでも、その異様さは伝わるらしい。

「一見、ただのアンティークだ。だが、俺には視える。ここには……消されたはずの少女の記憶が焼き付いている」

ユウがオルゴールのネジを巻く。

砂時計の砂が落ち始める。

上のガラスにある砂が「減る」のではない。徐々に「透明」になっていくのだ。

まるで、ユウの指先のように。

悲しげなメロディが流れる中、ユウは脳を焼くような感覚に耐えながら、視えた光景を言語化していく。

「場所は上層区、クリスタル・タワーの地下倉庫。少女の名は……エリ」

《エリって、まさか半年前の「空白の失踪事件」?》

《警察は家出で処理したはずじゃ……》

反応が変わる。

言葉を紡ぐたびに、自分の身体が世界から削り取られていく感覚がある。

マイクを握る右手の感覚が、完全に消失した。

ふと手元を見る。

パーカーの袖から覗く手首から先が、完全に透明になり、向こう側のキーボードの文字盤がくっきりと見えていた。

(……ああ、やっぱり)

喉が渇く。

でも、もう水は飲めないかもしれない。コップを持てないから。

それでもユウは、画面の向こうの見えない誰かに向かって、声を張り上げた。

「彼女は家出なんかしていない! 目撃者がいたんだ。……だが、その目撃情報ごと、権力によって握りつぶされた」

《おい、スイーパー、映像が乱れてるぞ》

《ノイズ? お前の手が透けてないか?》

「構うな、よく聞け! 犯人はまだ、この街の光の中に平然と生きている!」

ユウは叫んだ。

自分の命そのものを燃料にして、真実という炎を燃え上がらせるように。

第三章 透明な別れ

特定は早かった。

配信から数日、視聴者たちの『特定班』と、ユウが命を削って言語化したヒントが結びつき、ある企業の地下施設が暴かれたのだ。

だが、それが最期だった。

ユウは今、アパートの椅子に座っている。

いや、座っている感覚はない。

重力すら感じない。

ただ、意識だけがパーカーという布の中に浮遊している。

鏡を見る。

そこに映っているのは、無人のパーカーだけだった。

顔も、手も、足もない。

輪郭がぼやけた、陽炎のような揺らぎがそこにあるだけ。

「……ハハ、すごいな。声も、もう自分の耳には届かないや」

最後の配信。

これを終えれば、自分は完全に世界からロストする。

死ぬのではない。最初から「いなかった」ことになる。

家族の記憶からも、名簿からも、この部屋の契約書からも、灰田ユウの名前は消えるだろう。

それでも、後悔はなかった。

机の上で、オルゴールの砂時計が最後の煌めきを放っている。

配信開始ボタンを、キーボードの上に『念』を込めるようにして押し込んだ。

「――これが、最後の掃除だ」

視聴者は過去最高の一〇〇万人を超えている。

都市中の人間が、固唾を飲んでこの配信を見ている。

「失踪した少女、エリが最後に残したメッセージ。それがこのオルゴールの中に隠されていた」

ユウの声は、もうマイクを通さなくても、幽霊のように都市のネットワークに直接響いた。

「犯人は、都市開発局長。動機は、汚染区域の不正隠蔽を知られたからだ」

証拠となるデータ、そしてオルゴールの底に隠されていたマイクロチップの解析結果を画面に映し出す。

都市がひっくり返るような大スキャンダルだ。

《うわあああマジかよ!》

《警察動け!》

《スイーパー、お前何者なんだ!?》

画面の向こうで、世界が変わっていく音がする。

窓の外、遠く上層区の方から、サイレンの音が聞こえてきた。

「……なあ、みんな」

ユウは、誰もいないはずの宙に、見えない手をかざした。

「俺はただのゴミ処理屋だ。誰にも見向きもされない、底辺の人間だ」

視界が白く霞んでいく。

意識が、世界という枠組みからほどけていく。

「でも、俺は見ていた。忘れ去られたものたちの声を、ずっと聞いていた」

オルゴールの砂が、すべて落ちきった。

上部の砂――ユウの存在を示す砂は、完全に透明になった。

その代わり、下部に溜まった砂は、ダイヤモンドのように眩い光を放っている。

「真実は、ここにある。……あとは、頼んだよ」

ユウの意識が途切れるのと同時に、ふわり、とパーカーが椅子の上に落ちた。

まるで、最初から誰も着ていなかったかのように。

配信画面には、無人の部屋と、光り輝く砂時計のオルゴールだけが映し出されていた。

《え?》

《消えた?》

《トリック? 演出か?》

《おい、誰かいたっけ?》

《あれ、なんで俺この配信見てたんだっけ》

コメント欄の流れが変わる。

驚愕は困惑へ。そして、急速な忘却へ。

人々は、巨大なスキャンダルに怒り狂ったが、それを誰が暴いたのかを思い出せなくなっていた。

『ナイト・スイーパー』という名前は、波打ち際の砂の城のように、記憶の海へと溶けていった。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**
ユウの行動原理は、自身が「見たくないもの」として扱われ、世界から透明化していく運命と、ゴミのように捨てられた少女の絶望に深く共感することにある。孤独な自身の存在を唯一「ナイト・スイーパー」として世界に認識させるための、存在証明への渇望も隠れた動機である。

**伏線の解説**
砂時計のオルゴールの砂が透明になる描写は、ユウの肉体が消滅していく現象とリンクし、彼の存在が真実の光へと転換されることを暗示する。また、ユウが真実を告発するたびに世界から『異物』として排除され、存在が希薄化していく描写は、都市が不都合な情報をシステム的に抹消する冷酷な本質と、彼の最終的な消滅を予兆している。

**テーマ**
この物語は、社会が目を背け、忘れ去ろうとする「闇」や「異物」と、それに抗い真実を暴くことの代償を問う。個人の存在が犠牲になっても真実は果たして残るのか、そしてその真実に意味を見出すのは誰なのか。存在と忘却、そして真実の価値を巡る哲学的な問いを深く投げかけている。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと...

TOPへ戻る