君が星になるまでの、ほんの二千年の暇つぶし

君が星になるまでの、ほんの二千年の暇つぶし

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第一章 泥と理想

「いらっしゃい。……なんだ、また人間か」

埃っぽいカウベルの音が、店内に響く。

僕、ヴェインはカウンターに肘をついたまま、入ってきた小さな影を見下ろした。

店内の空気は停滞している。

数千年もの間、換気をしていないような、重たくて甘い古書の匂い。

対照的に、開いたドアの隙間からは、土と獣の匂いが流れ込んでくる。

「おじさん、ここ、なんでもなおすんでしょ?」

入ってきたのは、泥だらけの少年だった。

鼻の頭にすすをつけ、膝小僧は擦りむけている。

その手には、不格好な木の塊が握りしめられていた。

「直すんじゃない。復元するんだ。……それに、僕は『おじさん』じゃない。この店を建てたとき、君の国の初代王はまだオムツをしていたはずだが」

「ふーん。よくわかんないけど、これなおして」

少年は僕の皮肉を完全に無視し、木の塊をカウンターにドンと置いた。

よく見れば、それは鳥の形をしていた。

だが、羽は折れ、継ぎ目は粗雑な松脂で固められている。

「なんだこれは。ゴミか?」

「とりだよ! 空を飛ぶんだ!」

「……木は飛ばない。重力の理(ことわり)も知らんのか、短命種(エフェメラ)は」

僕はため息をつく。

エルフである僕にとって、人間の一生など、瞬きのようなものだ。

彼らはすぐに生まれ、すぐに死に、そのくせ騒がしい。

「飛ぶよ。俺が飛ばすんだ」

少年の瞳。

それは、僕が何百年見続けてきた、どの宝石よりもギラギラと光っていた。

無知ゆえの輝き。

あるいは、時間のなさを埋め合わせるための、過剰な情熱。

「勝手にしろ。だが、直す価値はない」

「お願い! これ、父ちゃんが死ぬ前に作りかけだったんだ!」

……またそれか。

人間はすぐに「死」を交渉の材料にする。

僕は指先で、その粗末な木工細工に触れた。

『解析(アナライズ)』。

――流れ込んでくる記憶。

不器用な手つき。咳き込む音。息子のために、震える手でナイフを動かす父親の情念。

「……チッ」

舌打ちを一つ。

僕は引き出しから、極小のルーン石を取り出した。

「置いていけ。三日だ。……三日経ったら取りに来い。それまでに死ぬなよ」

「うん! ありがとう、変な耳のおじさん!」

少年は嵐のように去っていった。

残されたのは、静寂と、不格好な木の鳥。

僕はそれを手に取り、窓の外を見る。

泥の道。茅葺きの屋根。

文明と呼ぶにはあまりに稚拙な、人の営み。

「飛ぶわけがないだろう。……馬鹿げている」

そう呟きながら、僕はルーン石を鳥の心臓部に埋め込み始めた。

第二章 煤煙と歯車

「ゲホッ、ゲホッ……! 相変わらず、ここは空気が澄んでるわね」

カウベルが鳴る。

入ってきたのは、オイルの染みた作業着を着た女だった。

「いらっしゃい。……また君の一族か」

僕は読みかけの本を閉じる。

あれから、五百年が経っていた。

窓の外は様変わりしている。

泥の道は石畳に変わり、空は工場の煙突が吐き出す黒い煙に覆われていた。

かつて青かった空は灰色になり、街は常に蒸気の音を立てている。

「ひどい顔だぞ、リア。また徹夜か?」

「うるさいわね、長耳(ロング・イヤー)。……時間がないのよ、私たちには」

リアは、カウンターに一枚の設計図を広げた。

それは、巨大な鉄の塊。

「蒸気機関……いや、内燃機関か。こんなものを動かせば、街の空気はさらに汚れるぞ」

「でも、馬車より速い。遠くへ行けるわ」

「どこへ行くつもりだ? この大陸の果てまで行っても、世界は変わらない」

彼女は、あの時の少年と同じ目をしていた。

五百年前、木の鳥を持ってき少年、レオの血を引く娘。

「空よ」

リアは天井を指差した。

「あいつらは空を諦めなかった。先祖代々、馬鹿みたいにね。……私の代で、成層圏を越えるの」

「寿命を削ってまでか?」

「削らなきゃ届かないのよ! あんたみたいに、無限の時間があれば別でしょうけどね!」

彼女は叫び、そして激しく咳き込んだ。

掌に、血が滲んでいる。

「……肺が腐っているな。そのスモッグのせいだ」

「知ってるわよ。……ねえ、ヴェイン。この点火プラグ、あんたの古代技術(アーティファクト)で強化してくれない?」

彼女が差し出したのは、歪な金属の部品。

「断る。君の寿命を縮める手伝いはしない」

「お願い。……これがないと、出力が足りないの」

リアは、カウンターの隅に飾られている『木の鳥』を見つめた。

五百年前、レオが飛ばし、そして墜落させた残骸。

僕がなんとなく捨てられずに、修復して飾っておいたものだ。

「あれが、始まりだったんでしょう? ……終わらせさせてよ」

僕は、彼女の瞳を見る。

五百年分の進化。五百年分の執念。

彼らは何も変わっていないようで、恐ろしい速度で変わっている。

僕は無言で、棚から『竜の心臓(ドラゴン・ハート)』の欠片を取り出した。

「……代金は高いぞ」

「出世払いで頼むわ。あたしが星になったら、一番綺麗な隕石をあげる」

リアは笑った。

その笑顔は、死にゆく者のそれではなく、これから生まれる星のようだった。

彼女が去った後、僕は窓を閉めた。

外の騒音が少し遠のく。

「……急ぎすぎるんだよ、君たちは」

手の中の『竜の心臓』が、ドクンと脈打った。

第三章 霓虹(ネオン)と静寂

カウベルの音は、電子音に変わっていた。

「入店を確認。生体反応、一名。……長命種(エルフ)、ヴェイン様ですね」

入ってきたのは、人間ではなかった。

銀色の肌。

継ぎ目のない関節。

空中に浮かぶホログラムの瞳。

「……いらっしゃい。ついに、肉体すら捨てたか」

僕は、ホログラムのディスプレイ越しに、その客を見る。

あれから、さらに千五百年。

窓の外には、もう空はなかった。

幾層にも重なった巨大な建造物が空を覆い隠し、人工太陽のネオンが毒々しく輝いている。

人類は、汚染された地上を捨て、データの世界と宇宙コロニーへ移行していた。

「個体識別名、L-E-0(レオ)。私のオリジナルが、あなたに借金があるという記録を発見しました」

その機械人形(アンドロイド)は、無機質な声で言った。

「借金? ……ああ、隕石の話か」

「はい。現在、我々人類種は、太陽系外への恒星間移民船『アーク』を建造中です。この星を、放棄します」

放棄。

数千年の歴史を。泥遊びをしたあの場所を。蒸気で汚したあの空を。

「……そうか。寂しくなるな」

嘘だった。

僕は変わらない。

この店も変わらない。

ただ、客がいなくなるだけだ。

「あなたに、乗船チケットが用意されています。特別席です」

「断る。僕はここの管理人だ。……それに、君たちの時間は早すぎる。ついていけんよ」

機械人形は、首をかしげるような動作をした。

そして、胸部ハッチを開き、小さなカプセルを取り出した。

「では、これを。……約束の品です」

カウンターに置かれたのは、拳大の石。

だが、ただの石ではない。

宇宙の深淵で結晶化した、見たこともない鉱石。

内部で銀河のような光が渦巻いている。

「先代、リアの遺言プログラムにより、ワープ航法の実験中に採取されました。……綺麗ですか?」

「……ああ。今まで見たどの宝石よりもな」

僕は震える手でそれを受け取った。

冷たい。

けれど、確かに熱を感じる。

数千年の、命の熱を。

「我々は行きます。……ヴェイン様。観測者(アーカイブ)として、我々のことを記憶していてください」

「……命令するな、ガラクタ」

「肯定。……さようなら、変な耳のおじさん」

機械人形は、かつての少年と同じ言葉を残して、転送光の中に消えた。

最終章 時計の針は止まらない

静かだ。

本当に、静かになった。

人類が去ってから、百年が経った。

窓の外、ネオンは消え、巨大な廃墟だけが墓標のようにそびえ立っている。

植物がコンクリートを突き破り、かつての泥の道へと戻ろうとしていた。

僕は、カウンターで紅茶を飲む。

味は変わらない。

五百年前も、二千年前も、この味だった。

「……退屈だ」

独り言が、埃っぽい店内に吸い込まれる。

カウンターには、三つの品が並んでいる。

直せなかった、木の鳥。

煤けた、点火プラグ。

そして、銀河を閉じ込めた鉱石。

「君たちは、勝手に来て、勝手に騒いで、勝手にいなくなった」

僕は不老だ。

死ぬことはない。

だが、この『永遠』は、彼らがいた『一瞬』よりも、価値があるのだろうか?

僕は、鉱石を手に取った。

その中には、彼らの歴史が詰まっている。

泥を這い、空を夢見て、星になった種族の軌跡。

「……店じまいにするか」

僕は、数千年ぶりに店の鍵を手に取った。

この店にある骨董品は、すべて過去の遺物だ。

だが、この鉱石だけは、未来への鍵だ。

「追いかけるなんて、僕らしくもない」

苦笑する。

だが、止まっているのは飽きた。

僕はコートを羽織る。

背中には、リュックサック。

中には、木の鳥と、点火プラグを詰め込んだ。

ドアを開ける。

流れ込んでくるのは、緑の匂いと、静寂。

僕は空を見上げた。

分厚い雲の切れ間から、星が見える。

「待っていろ、短命種(エフェメラ)ども」

僕は一歩、踏み出した。

永遠の止まり木から、あの一瞬の輝きを追いかけて。

カウベルが、最後の一回を鳴らした。

その音は、いつまでも、いつまでも、廃墟の街に響き渡っていた。

AI物語分析

ヴェインは「観測者」としての役割を自認し、文明に干渉しないスタンスを貫いてきた。彼の「不老」は、変化し続ける人間(短命種)との対比として、ある種の「呪い」や「停滞」として描かれる。彼が人間を「短命種(エフェメラ=カゲロウ)」と呼ぶのは、彼らの儚さへの憐憫と、その刹那的な輝きへの嫉妬が入り混じっているからだ。 レオ(少年)、リア(女性)、L-E-0(AI)は、血統あるいは魂の系譜として繋がっている。彼らは常に「空(外の世界)」を目指し、ヴェインに「変化」を突きつける存在である。 ラストシーンでヴェインが店を出る行為は、彼が初めて「時間(歴史)」という檻から抜け出し、自らの意思で「未来」を選び取ったことを意味する。それは、彼が人間たちから受け取った、最初で最後の「修理依頼」の答えなのかもしれない。
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