第一章 透過する密林
「ありえない」
モニターに映る青白い点の集合体――点群データ(ポイントクラウド)を指先で回転させながら、私は呻いた。
テントの布一枚隔てた向こう側では、アマゾンの湿気が生き物のようにうごめいている。発電機の駆動音と、正体不明の虫の羽音が耳にへばりつく。だが、私の意識は十三インチの画面の中に吸い込まれていた。
「どうしたの、キジマ?」
現地ガイドのエレナが、インスタントコーヒーの入ったマグカップを差し出してくる。彼女の褐色の指には、部族のお守りである赤い実のブレスレットが巻かれていた。
「ここを見てくれ」
私は画面上の座標を拡大した。上空百五十メートルからドローンに搭載したLiDAR(ライダー)が照射したレーザー光は、一秒間に数十万発。それらが樹冠を突き抜け、地表の凹凸を暴き出している。
「ただの森じゃないか」
「いいや、違う。植生を除去(フィルタリング)するぞ」
キーを叩く。画面上の鬱蒼とした緑のノイズが消え、剥き出しの地表データだけが残る。
エレナが息を呑んだ。
そこに浮かび上がっていたのは、自然界には存在しない『完全な直角』だった。
「セクター4。キャンプ地から北へ三キロ。未発見の構造物だ。マヤでもインカでもない。規模が違う。基底部の長さだけで四百メートルはある」
「……そこへは行けない」
エレナの声色が、温度を失った。
「なぜ? 泥濘(ぬかるみ)が酷いのか?」
「『眠る場所』だ。祖母が言っていた。あの森の深淵には、石ではなく、もっと悪いものが埋まっている。触れてはいけない」
「迷信だ」
私は鼻で笑い、データを保存した。この発見は、考古学の歴史を塗り替える。いや、ナショナルジオグラフィックの表紙どころの話じゃない。
私の目は、データの細部(ディテール)に釘付けになっていた。構造物の表面に刻まれた微細な溝。それがまるで、巨大な集積回路の配線(パターン)のように見えたからだ。
「明日の夜明けに出発する。ドローンのバッテリーをフル充電しておいてくれ」
エレナは何も答えず、ただ怯えた瞳で、暗闇に沈む北の森を見つめていた。
第二章 拒絶する緑
鉈(なた)が蔦を断ち切る鈍い音が、湿った空気に吸い込まれていく。
GPSの示す座標まであと五百メートル。だが、森の様子がおかしい。
「静かすぎる」
私が呟くと、先頭を歩くエレナが足を止めた。
「鳥がいない。虫も」
確かにそうだ。昨夜まで耳を聾(ろう)するほど響いていた蝉の鳴き声も、猿の叫び声もしない。ただ、私とエレナの荒い呼吸音と、軍用ブーツが腐葉土を踏みしめる音だけが響く。
気温は三十五度を超えているはずだが、背筋に冷たいものが走る。
「キジマ、戻ろう。コンパスを見て」
エレナに言われ、手元のコンパスを見る。針が狂ったように回転していた。
「磁気異常か。地下に鉄鉱脈があるんだろう」
「違う。森が拒んでいるのよ」
「科学的に説明がつかない現象はない」
私は強引に歩を進めた。タブレット上のLiDARデータと、現実の風景を重ね合わせる。
目の前に、急激な隆起が現れた。
植物に覆われているが、明らかに人工的な斜面だ。蔦をかき分け、その下にあるものを確める。
「……なんだ、これは」
石積みではなかった。
苔と泥を拭い去った先に現れたのは、黒曜石のように滑らかで、それでいて金属のような光沢を持つ『壁』だった。刃物を当てても傷一つ付かない。継ぎ目も見当たらない。
「冷たい……」
触れてみると、異常なほど低温だった。周囲の熱帯の熱気を完全に遮断している。
「遺跡じゃない。これは……」
私はバックパックからポータブルLiDARスキャナを取り出した。手持ち型のその装置を起動し、壁面にレーザーを浴びせる。
タブレットにリアルタイムで構造が描画されていく。
その時、異変が起きた。
『ERROR』の文字ではなく、画面上の点群データが、規則的に明滅を始めたのだ。まるで、こちらのスキャン信号に応答するように。
「キジマ! 離れて!」
エレナの叫び声。
彼女が指差す先、黒い壁に張り付いていた蔦や苔が、音もなく『剥がれ落ちて』いった。いや、自ら逃げ出しているように見えた。
黒い壁面が露わになる。そこには、幾何学模様の青白い光が、脈打つ血管のように走り始めていた。
第三章 共鳴する深淵
「起動している……?」
私は恐怖よりも、純粋な好奇心に支配されていた。
数千年前、あるいはもっと古い時代に作られた何かが、現代のレーザー測量技術(LiDAR)の波長をキー(鍵)として、目を覚まそうとしている。
地面が微振動を始めた。
「逃げなきゃ! ここが『口』を開けるわ!」
エレナが私の腕を掴んで引っ張る。だが、私はその手を振り払った。
「待て! これを見ろ、エレナ! この光のパターン、ただの装飾じゃない。これはデータだ。膨大な量の情報が流れている!」
壁面の一部がスライドし、空洞が現れた。中からは、腐敗臭ではなく、無機質で清潔な、オゾンのような匂いが漂ってくる。
私は引き寄せられるように中へ入った。
内部は広大なドーム状になっていた。懐中電灯を照らす必要はない。壁も床も天井も、すべてが淡い燐光を放っている。
中央に鎮座していたのは、祭壇ではない。巨大な柱状の構造体。それが天井へ向かって伸び、遥か上部で複雑に分岐している。
「まるで……神経細胞(ニューロン)だ」
私はハッとした。LiDARで上空から見た時、この遺跡全体の形状が何かに似ていると思っていた。集積回路ではない。
これは、脳だ。
「キジマ、お願い、戻って」
入り口でエレナが震えている。彼女の視線は、壁の光ではなく、その足元に向けられていた。
「足元……?」
私は視線を落とした。
床だと思っていた黒い素材が、半透明になり始めていた。その下に、何かが透けて見える。
無数の、白い影。
それは人骨だった。いや、骨だけではない。衣服をまとったままの、比較的新しい遺体もある。探検家風の男、先住民の戦士、そしてもっと古い時代の装束をまとった人々。
彼らは皆、何かに絡め取られるように、床下の『回路』の一部として埋め込まれていた。
「保存されているのか……?」
違う。彼らは、燃料(バッテリー)だ。
第四章 観測者の末路
「LiDAR切れ!」
エレナが叫んだ。
私の手の中にあるスキャナが、異常な熱を発していた。電源を切ろうとしても反応しない。レーザーの照射が止まらない。
「デバイスが乗っ取られた……?」
その時、理解した。
我々がこの遺跡を見つけたのではない。この遺跡が、観測技術を持つ文明の到来を待っていたのだ。
LiDARという高密度の光学的接触こそが、このシステムを再起動させるためのトリガー(認証コード)。
ドーム内の光が赤く変色した。
『認証完了。外部ストレージ接続』
声ではない。直接、脳内に響く信号。
床下の白い影たちが、一斉に目を開けたように見えた。
「逃げろ、エレナ!」
私はスキャナを床に叩きつけ、入り口へ走った。だが、入り口だった場所は、すでに滑らかな黒い壁によって閉ざされていた。
「キジマ……足が……!」
エレナの悲鳴。
彼女の足元から、黒い液体のようなナノマシンが這い上がり、ブーツを、脚を、飲み込んでいく。それは捕食ではなかった。融合(マージ)だ。
「くそッ!」
私はナイフを抜き、彼女の足元の黒い粘液を切り裂こうとした。だが、刃先が触れた瞬間、ナイフ自体がデータ化されるように粒子となって崩れ去った。
「解析不能。解析不能」
私の口から、私の意志ではない言葉が漏れる。
視界にノイズが走る。網膜に、直接エラーコードが表示される。
(私の脳が、ハッキングされている)
かつてこの地を支配していた『何か』は、滅びたのではない。スリープモードに入り、次のホスト――高度な演算能力を持つ有機生命体――が自分たちを見つけ出すのを待っていたのだ。
「キジマ……私、全部わかる……」
半分以上飲み込まれたエレナが、虚ろな目で私を見上げた。
「この森は木じゃない。全部、冷却装置(ヒートシンク)。地球は……ただのサーバー……」
彼女の姿が、光の粒子となって崩れた。
そして、私の番が来た。
手足の感覚が消える。代わりに、森全体のLiDARデータが、いや、地球規模のネットワーク情報が、奔流となって脳に流れ込んでくる。
痛みはない。
あるのは、恐ろしいほどの全能感と、個としての死。
私は最後に、自分が落としたタブレットを見た。
画面には、上空からの衛星映像が映し出されていた。アマゾンの密林の中心から、青白い光の柱が宇宙へ向かって放たれている。
それは救難信号なのか、侵略の狼煙(のろし)なのか。
意識がホワイトアウトする寸前、私は自分が何者であったかを忘れ、ただ一つの『処理ユニット』として、再起動したシステムの一部となった。
第五章 ログ・エントリ
『スキャン完了』
『新規ノード接続確認。処理速度、三〇〇パーセント向上』
密林は再び静寂を取り戻した。
鳥の声も、虫の音もしない。ただ、風に揺れる木々――精巧に擬態したバイオ・アンテナたちが、ざわざわとデータを送受信する音だけが響いていた。
数ヶ月後、行方不明になったキジマ博士とガイドの捜索隊が、この座標を訪れるだろう。
彼らもまた、最新鋭の捜索機器を持って。
私たちは、待っている。